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『SHIROH』を語る。(19)

●罪知らぬ者と罪知る者

 1幕、四郎の登場シーン。

 「罪知らぬ者が罪知る者を裁くというのなら、その裁き、この四郎の刃が覆してくれる!」

 益田四郎時貞役、上川隆也さんの小気味いい啖呵に痺れる場面。

 ここでは
  罪知らぬ者=役人(”小役人”を演じさせればなるしーの右に出る人いないよなぁ)
  罪知る者=キリシタン
 なわけですが、

 「罪知る者が罪知る者を裁く」
 ことを否定していないということに気づいた。

 つまり、
  罪知る者(裁く方)=神
  罪知る者(裁かれる方)=キリシタン
 であり、
 「罪知る者が罪知る者を裁く」
 となるのがこの物語。

 その”裁き”は3万7千人皆殺しながら、しかしその魂ははらいそへ招かう。

 四郎は一幕一番最初から、「罪知る者」として、苦悩と自信喪失の中にある。志はある、だが力がない。だからその欠片を寿庵が埋めた。
 それゆえに、一幕で四郎を励ましつづけた(四郎にとっては苦痛であり、過去を振りかえさせられる拷問以外の何物でもなかったが)リオが、四郎に見えなくなったのかなとも思う。
 ある意味、四郎はリオを見る必要がなくなったのかもしれない。寿庵の存在によって、ありのままの自分を見れるようになったおかげで。
 四郎は自らの罪に苛まれ続けた段階から、寿庵に支えられることで「罪」を乗り越え、”自らが何をすべきか”という使命感で動くことができたのだと思う。

 対してシローは、ピュアでありすぎるが故に、「罪」を知らない。ゆえに利用されぼろぼろにされ、3万7千人皆殺しの引き金を引く「罪」を犯す。
 2幕最初でシローは洗礼を受けてキリシタンになっているが、キリシタンになった=罪知る者に自動的になるわけではない。キリシタンとなり我を見つめ、神に祈ることで、「罪を知っていく」のだと思う。
 
 「罪を知っている」四郎と、
 「罪を犯し、罪を知った」シロー。
 2人のSHIROHが「罪を知った」ことで、はじめて神は彼らを裁くことができ、3万7千人の御魂とともに、2人のSHIROHをはらいそへ連れて行けたのかなと思う。

●原作戯曲とCD

 新感線公演でいつも凄いなぁと思うことが、サントラCDの凄まじく早いリリースと、原作戯曲の存在。
 サントラCDは公演終了後販売しない代わりに、初日からサントラCDが並んでいるというのが新感線公演の定番。芝居リピートするのにこれほど強い引力をもったグッズはないと思う。
 いくらライブ盤でないと言っても、曲がシーンを思い出させてくれるし、公演がまだやってるからまた映像で見たくなる。つくづく上手いなぁと思う。

 今回の『SHIROH』は公演ライブ盤でしたから、帝劇公演中には発売されずに、大阪初日で発売でしたが、このタイミングも絶妙。帝劇は観客層も広いということでCDなくてもリピーターが確保できて、大阪は短いこともあってCDで盛り上げを狙う。少なくとも観客動員的にはまっとうな結果になったことの一つに、このCDの存在があったと思う次第。

 ※今回のCDは、帝劇ではチケット売り場で売ってます(2005年1月現在)

 で原作戯曲。これは要するに台本の書籍版。論創社というところから出ていて、大阪公演では品切れで予約を受け付けていました。現在増刷中(ISBN:4-8460-0495-3、1800円)。

 今回はミュージカル作品だったために、原作の中島かずきさんが書かれた原作戯曲と、公演の演出にはいくつか目立つ違いがあります。

 大阪公演の方はまだ戯曲を見られていないと思いますので、
ネタバレを若干含みますので、以下ご注意ください。

◆十兵衛が斬られるシーン
 一番大きな違いはここでしょう。いわば「敵にも五分の魂と五分の理」的な、いのうえKABUKIテイストが入ってます。
 公演では四郎があまりの怒りに我を忘れたかのように一斬りで十兵衛を葬ってますが、何せあの後に寿庵との今際のシーンが控えているために、十兵衛の”戯曲”バージョンを入れようがないという。
 この辺が入らなかったのが、「新感線的でない」って感じがします。
 中島さんは新感線的なホンを書いたけど、いのうえさんがミュージカルサイドに演出を持っていったような雰囲気です。

 だからどちらかというと寿庵と四郎の今際のシーンも、舞台で強調されていた恋愛バージョンよりも、戯曲は寿庵がすごく強く描かれてる。
 舞台では、「軍師である前に女性」という趣でしたが、
 戯曲では、「女性である前に軍師」という趣。

(戯曲にものすごく印象的な一言があります。
これはぜひ戯曲でご鑑賞を)

 高橋由美子さんはどちらも出来そうだと思うけど、舞台で見せた感情移入ばりばりのシーン進行の方が好き。

 でもこのシーン、
 四郎と寿庵の関係を浮かび上がらせるためにはこれしかなかったのかも。
 うわごとのように四郎を求めた寿庵。
 すんでのところで間に合わず寿庵を失う四郎。
 そのシーンへの盛り上げ(このシーンより前の部分)は今のところ寿庵が一手に引き受けている。
 つまるところ、寿庵から四郎への恋愛感情をすごーく上手く掬い上げている。
 四郎から寿庵へは意図的に抑えているような、そうでないような、複雑な感じ(さんじゅあんの館とか、砂浜とか、若干思わせぶりなシーンはあるけど)。

 若干、朴念仁みたいなところも、なきにしもあらず>四郎殿
 そうか、あてがきですか(爆)

 新感線テイストといえば、ここで戯曲バージョンに移行すると、
『野獣郎見参』の美泥役と、どぴったりシンクロしてしまいそう。
 全ての試練を乗り越えて、生き抜いていく感じが似てる。
 美泥役の女っぷりを増したのが、寿庵役という雰囲気さえ感じる。

 『野獣郎見参』のDVDを見てると、寿庵が知恵伊豆に言葉で掴みかかるシーンが欲しかったなぁ、とか思う。
  「どこまで人の心を弄ぶ!」とか
  「それが幕府を束ねる松平伊豆守のやること!?」とか
 今の由美子さんの声量でど直球にやって欲しかった。

 ※参考までに、『野獣郎見参』の美泥役の初演は、『花の紅天狗』の赤巻紙茜役と同じく、高田聖子さん。『SHIROH』ではお紅役をされた新感線の看板女優さんです。

◆ちなみに
 この作品の最初、『組曲「約束の地」~いんへるの~』の寿庵の歌詞、公演当初、何度聞いても覚えられなかったのですが、戯曲のおかげではっきり分かりました。

 「語ろう」って言ってるとは思ってなかった。

そういえばそうだよなぁ。
語り部役なんだよね。

CDが発売されたのでそういう面で戯曲の出番はなくなったけど、
収録されていない曲はやっぱり戯曲頼り。
まぁ要するに『さんじゅあんの闇市(リプライズ)』のことなんですけどね(我ながら女々しいとは思う)。

◆おまけ
 大阪・梅田コマ劇場で歩いていたお客様のコメント

 「東京公演終わってるから、
『SHIROH』のDVD出てるんじゃない?」

 ・・・いくらなんでもそれは無理かと。
 イーオシバイのスタッフさん死んじゃいます(笑)。

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