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2005年1月

『SHIROH』を語る。(23)

やろうと思ってやってなかったテーマ。
あえて、もう一つの世界から、『SHIROH』を語ります。

第11回でも書きましたが、現在、小学館から出ている月刊誌『flowers』という雑誌に、『AMAKUSA 1637』という作品が連載されています(毎月28日頃発売)。
ちなみに作者の赤石路代さんも、『SHIROH』はご覧になったそうです。

今回の内容、1月28日発売の最新号(3月号)のネタまで含めたネタバレが入っています。
お気になさる方は回れ右をお願いします。


●天帝の使い
『AMAKUSA 1637』の四郎は、現代の女子高生がタイムスリップで1637年の天草に飛ばされてしまったという設定。あまたの奇跡を起こし、皆の希望の星として一揆軍のトップに立っています。
『SHIROH』の役柄で言うと、四郎とシローを混ぜに混ぜた人物造型でしょうか。
シローの純粋さと、四郎の苦悩と、四郎の剣術を併せ持った女性(剣道の腕では全国トップクラスという経歴を持ってます)。

※まぁもともと『SHIROH』は天草四郎を2分裂させて四郎とシローにしているから当たり前ですが。

 奇麗事を平然と言い放つ、類まれなるピュアさ。
 唐津軍との戦闘の最中、台風が襲来。
 その最中、荒れ狂う海から敵を助けようと海に漕ぎ出す。
 その行為は敵の大将の心さえ動かす。

もう連載が4年を超えている作品なのですが、個人的にはこの作品があったからこそ『SHIROH』に嵌ったのかな、と思えないこともなく。
『奇麗事だよ』『そんなことあるわけないし』『偶然起こしすぎ』とか思ってはいたのです。
でも、必死に生きようとする気持ちというか、スピリットの部分は同じかな、と。

<以下わかりにくくなるので『AMAKUSA 1637』の四郎はもともとの本名、”夏月”で表現します。『SHIROH』の四郎は上川隆也さん演じる益田四郎時貞、シローは中川晃教さん演じるシローのことを指します。なお巻数は全て『AMAKUSA 1637』コミックスの巻数表記です>

夏月が語る言葉に、”みんなで幸せに生きのびよう”というものがあります。

ただ生きるだけではなく、”幸せに生きのびる”という言葉、
キリシタン軍の合言葉として、これほど相応しい言葉もないと思う。
『SHIROH』では、その思いがどんどん狂わされ、最終的に3万7千人全滅という、悲劇につながってしまったけれど、死に急いでしまったかのように見えるシーンのほんの前までは、皆の気持ちはまったく同じところにあったのだと思う。

夏月と対峙した敵は、史実そのものの大悪人として描かれていた
松倉勝家以外、夏月に心酔していきます(※)。

※『AMAKUSA 1637』では松倉勝家は本気で大悪人で人間の小さな小さな方として描かれてまして、夏月から逃げまくって、家老、ひいては妻にまで「情けない」と呟かれております。
何せ、剣を持たずに乗り込んだ夏月相手に、剣で襲い掛かって返り討ちにあい、殺されております。
その様を見た家老に「刀を持たなかったあの人に襲い掛かったのは我が殿だ。私はあの人に刀を向けることはできない」とまで言わせております(9巻)。

徳川の隠密である柳生十兵衛(『AMAKUSA 1637』にも登場しています)さえ、家光の命(夏月を生きたまま捕らえてくることを命じられている)と夏月の存在の間で心揺れます。

島原の困窮の原因は松倉家の圧政によるものとして有名ですが、『島原・天草の乱』と言われているように、天草も島原のそれに勝るとも劣らない圧政が語り継がれています。
天草を治めていたのは唐津藩・寺沢家で、天草・富岡城に城代を置き、天草の統治を任せていました。寺沢氏はかつてはキリシタンでしたが、幕府の禁政令と時を同じくして過酷なキリシタン弾圧を引き起こします。
この富岡城城代が、『AMAKUSA 1637』では八塚という人物。彼も同じく現代からのタイムスリップで天草に飛ばされ、寺沢氏に認められ城代となっています。
この八塚が夏月と出会い、その後、主人である寺沢を討ったことで、唐津藩が総がかりで富岡城攻めをかけます。
攻めるは唐津藩家老・杉島氏(こちらも史実の人です)。

杉島氏はかつて八塚に捕らえられた際、夏月と言葉を交わしています。
夏月は「あなたがたを殺したくはない」と言ったのに対し、杉島氏は「あなたが正しいのであれば、私を殺せ。それが戦いだ」と答えています(7巻)。

”相手を殺したくはない”という表現は、戦いの場には相応しくない印象を持ちます(※)。
がしかし、それは四郎にも通じる所があるというか、四郎はそういえば「敵を憎まない人」だな、と思い出します。
ただ唯一憎んだのは、多分、最後の最後、柳生十兵衛に対してだけだったのかな、と。
松平伊豆守に対しては”憎む”という感情よりむしろ、”怒る”という気持ちだったように思えますし。

※『夏月は「剣で人を斬れるが殺せない」、それが最大の弱点』、と八塚が語っていたことがあります(8巻)。

杉島氏が八塚との一騎打ちに敗れ、自ら死を選ぼうとした時、夏月はそれを止めます。

「生き恥をさらさせるのですか」と言った杉島氏に対し、夏月は
「なぜ生きることが恥なのです」と語りかけています(3月号)。

”皆で生きたい”その前には、敵も味方もない。気持ちが通じれば、それでいい。
綺麗ごとに聞こえなくないけれど、そこにはシローにも垣間見える、”純粋さを持つ人間だから言える、メッセージの強さ”を感じずにいられません。

ただ生きたい。小細工なくまっすぐにそれだけを願う。

夏月は
「人を殺して人を救うなんて正しいのかと思うけど、でも放ってはおけない」(7巻)
と語ります。

夏月は松倉勝家が領民達を斬首する光景を目の当たりにし、「誰も死なないようにと戦い始めたのに、それでも人は死ぬ」(7巻)と呟きます。だからこそ、「許せない」という気持ちが湧き上がります。
支配者に対する、純粋な怒り。領民と同じ目線に立つ気持ち。後者はともかく、前者は四郎にはあまりなかった場面だなと思います(1幕一番最初の「いんへるの」で主水と対峙してる時ぐらいしか表面に出てない)。
直接キリシタンと対決するキリシタン目付がことごとく”小役人”なので、四郎と比べるとバランス悪すぎるんですよね。真剣に対峙する必要もなく、下手するとあしらう程度で終わるという。
柳生十兵衛、松平伊豆守とでやっとこさ釣り合っていたということをふと思い出します。

そういえば、夏月・四郎に共通して言えることなんですが、剣が鬼神のように上手ければ、その剣の腕に溺れて傲慢になるとか、そういう話があって良さそうなものなんですが、そういう所が欠片もない。

剣術はあくまで自分自身、そして仲間を守るための”術”にすぎず、”人斬りの剣”ではない。

そしてそれだけの腕を持ちながら、自らの立場と、ひいては一揆軍の置かれていく状況に苦悩し続けるというのがまさに”生身の人間”だなと。
「3万人の命はとても重いです」と夏月が語っている言葉は、四郎にも相通ずるものであったのでしょう。”奇跡の力”をもつ者だけにわかる、「力」というものの怖さをまじまじと感じます。

そして「力」をもつ者が感情を無視できたとき、是非はともかく、どれだけ強いものか、ということを松平伊豆守の姿を見て思うのであります。

感情を捨てられなかった四郎と、感情を捨てた伊豆守。
戦としての勝負はついていたかもしれないけど、感情を最後まで貫いた四郎だからこそ、神は奇跡の力を再び与えたもうたのだと思う。

そして最後に残った寿庵。
理に生きながら最後まで感情を捨てられなかった寿庵だからこそ言える言葉。
あまたの悲しい出来事を乗り越え、感情を捨てず、すべての人の感情を乗り越えて語る様に「本当に強い人間」を見る気がいたします。

●軍師
夏月を支える軍師の役どころは、『AMAKUSA 1637』では英理という女性。全国トップレベルの頭脳を持つ設定で、中学校時代、クラスで仲間外れにされていたところを夏月に助けられて以来、夏月に心酔しています(もっと分かりやすく言うと「好き」なのですが)。
当然女性同士でありますので、英理も夏月への思いを
「私の思いは届くことはない」と呟いています。

一揆軍の参謀として、
「夏月を絶対負けさせはしない 私が夏月を勝たせる」
と固く心に誓っております。

細かい設定はともかく、キャラクターは寿庵とどぴったりリンクしております。冷静な判断力に代表される”キレの鋭さ”と、皆の感情を読み、さりげなくフォローする”情の細やかさ”といい、こんなに似た役作っていいのだろうか、というぐらい似ております。

八塚が一揆軍のメンバーを明らかに下に見た時に、厳しく指弾する様は、圧巻です。
「一揆軍は心一つになってなければいけない。そんなところから崩れだしたら、苦労するのは夏月よ」(9巻)と。

そういえば、帝劇初日で寿庵を見たときには絶句したんでした。
あまりに役設定が似すぎていて。

英理・寿庵の共通点というと、頭のキレからして「冷静沈着だが厳格すぎて感情が感じられない」という風になりそうなところ、なぜにか皆に対する深い愛情を感じるのですね。

確かに寿庵の愛情は四郎へ一直線ではありますが、四郎に向けてだけではなく、他の皆を包み込むだけの愛情をあわせ持っていたと思う。
それは四郎への想いとは別の内容の”愛情”ではありましょうが、それゆえに最後の場面が映えるのだと思う。シローに対しても優しく見つめながら、しかし必要なところでは頑として自分の意思を貫き通すあたり、シンクロするものがあります。

あともう一つの点として、軍師として冷静沈着にあって感情が激する部分。

夏月が柳生十兵衛に襲われているところを英理が見咎めて斬り付け、
「夏月を殺そうとしたら許さない、それだけは許さない」
「夏月のためなら人も殺せる」
とか言ってるあたり(6巻)、
『SHIROH』の寿庵にそういう面を表現しているところはないですが、そこはかとなき”激しい”部分があるのかなと。
言葉はないけれど、松平伊豆守と対峙する時の「怒りを身体全体に秘めた威圧感」は、通じるものがあるのかなと思います。
ただ、松平伊豆守の立場に対して、キリシタンの立場、”怒り”をぶつける言葉があって欲しかったというのが本音かも。

松平伊豆守の存在が、道理と使命を体現化しすぎて(それは演じる江守さんの力があってこそですが)、下手なことをすると「伊豆守の言いたいことも分かる。権力を持った者はこうして自我を殺して仕事に生きるのね」みたいな気持ちになってしまいそうで。

変な言い方だけど、伊豆守が卑怯じゃなさ過ぎるんですよ(あぁ言っちゃった)。
伊豆守の言い分に「支配する側の道理」を語らせている割に、キリシタン軍側に「兵を挙げる側の道理」が語られていないように思うのですよ。
戯曲では砂浜のシーン、実は寿庵の長台詞が2つほど入っていたりして、いかにも中島さんらしいフレーズでして、ああいう台詞でも良かったと思うけど、そうでなくても伊豆守とキリシタン軍が唯一対峙するシーン、闇討ちに走ってしまってキリシタン軍の正当性に思いっきり疑問符付いてしまう前に、キリシタン軍の意思を松平伊豆守にぶつけるシーンがあって欲しかったなと思うのです。

オランダ船の件で伊豆守から先手打たれる前に、伊豆守に対して怒りをぶつけるシーンがあったらよかったなと。

ただその辺りは、道理一直線の伊豆守と対峙したからこそ、その相手に対するしっぺ返しが最後の寿庵の”決め”につながっているという点もあるので、なかなか痛し痒しですし、伊豆守がああいう人物造型だったからこそ、作品として重みが出たことはまぎれもない事実でしょうし。

ふと思ったことなのですが、今回、新感線色の薄い理由として挙げられる”古田新太氏が出ていない”という点。
古田氏は今回、同時期公演のNODA MAP『走れメルス』に出演されていたために『SHIROH』への出演がなかったわけですが、古田氏が伊豆守をやらなかったのが初演『SHIROH』の方向性を決定付けたのかな、とある意味思います。

”卑怯”という要素を少なくとも表に出る限りまったく見せなかった伊豆守@江守氏に比べると、仮に伊豆守@古田氏となると、邪推かもしれないけどどことなく”卑怯”さが入り込んできそうな気がします。

同じ「悪」でも何かが違う。2人とも上手い役者さんで、存在で作品を左右するパワーを持った方ですが、「破滅的な悪」の古田氏と、
「破壊的な悪」の江守氏では、きっと作品の作りも違っていたのだろうなと思うのです。

さて、今回は英理の一番印象的だったフレーズで締めます。
「夏月がいなくなるのだけが怖い、
自分(英理)がいなくなるより怖い」(7巻)
という言葉が、
「四郎様がいなくなるのだけが怖い、
自分(寿庵)がいなくなるより怖い」

と寿庵が呟いていそうで、そのあまりの純さに心を打たれたりします。

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『SHIROH』を語る。(22)

『SHIROH』のCD、e.oshibaiさんのサイトで通信販売が開始されております。
CD話を載せてあります、第10回にも追記しましたが、情報として書きます。

こちらをご参照。

さて。
ふと、帝劇公演中に書き殴った文章が出てきました。
若干、以前の回の内容とだぶっているところもありますが、
情景を思い出すにはいいかなと思って、その時のまま載せてしまいます。
(特に第8回とかなり重複しています。)
テーマ別に書いている今までの回とは、また違った形で情景が思い出しやすいので。
その頃から文章は熱いなぁ・・・

2/16追記---
この文章、あまりに思い入れが強すぎたので、出すのをずっとためらっていたのですが、
『娯楽教養費の収支決算』さんのところに載ってました「吾はいかにしてまるちらーとなりしか。」の”熱さ”に共感してしまいまして。
(ちなみにこのタイトルが大好き。通りもいいし。)

『SHIROH』に触発されて出てきた”熱さ”とか、いつもは考えないのになんか考えちゃう”運命”とか”人生”とか、そないなことを書きたい放題書けるのは今しかないわけだしっ、と踏み切ってしまった次第。

なんだかんだ言いつつこんなに書いてる『SHIROHを語る。』
帝劇のうちに書き出してたら、かえって中途半端になっていたかも・・・


ちなみに、帝劇前半の時、舞台進行通りにレポ的な文章を個人的に書いていたのですが、
1幕の「さんじゅあんの館」に行った時点でA4で10枚超えていて、さすがに力尽きました(笑)。

●ちょっと振り返ります 『SHIROH』2幕

寿庵にとって四郎は絶対的な主君であり絶対的な愛情の注ぐ相手なのに対し、シローは極端な話”駒”にすぎず「力を持った若者」でしかなかったりする。
寿庵が四郎を諭すことはありえず、あくまで対等な立場で戦況を把握する軍師である。
四郎もそれを理解して寿庵との距離を保つ。
これに比べれば寿庵がシローを諭すのはやはり”子供”と見ている証拠であろう。
作品が違えど、寿庵はやっぱりシローの姉なのだ。(※)
多分、「敵わないなぁこの人には」と思ってる姉だが、
でもそれはそれ。
感情が爆発する瞬間、何もかもが信じられなくなる。
四郎が自らを斬ろうとするとき、
信頼していた寿庵は四郎との絆の方がはるかに太く、たとえ
”戦略”と言われても騙されたという想いは純粋だからこそ深く傷つく。

※ただの1回だけ「母」に見えた瞬間がありました。
12月28日ソワレでの寿庵からシローへの
「目を覚ましなさい、シロー」は、
まさに”戒めの念”を乗せた母の声に聞こえた。
由美子さんが超絶好調の日のこういうところ、”鳥肌”以外の表現で語りようがないです。

理性と現実を体現化した寿庵が、感情と理想を体現化したシローに、どう対応してよいかわからなくなる場面ともいえる。
寿庵はあくまで四郎の軍師でありシローはその下に仕える役どころに過ぎない。
そこを冷徹に規定していた寿庵の強さが、この転回した場面ではことごとく裏目に出る。

なぜならばシローを納得させる言葉を吐けない。
理屈でいくら言おうとも騙していた、黙っていた事実だけはどうしようもない。
噛みあっていたはずの歯車は、もしかすると寿庵の四郎とシローへの想いの違いが、それを狂わせて行ったのかもしれない。
「四郎がいれば何でもいい。四郎のためなら何でもできる」
寿庵の強みでもあり、弱さでもある。
シローは寿庵を頼りにしていた以外のものではなかったが、自らをここに連れてきたお蜜への感情を切って捨てられるほどの冷酷さにシローは戸惑ったのであろう。

感情は最後に悲劇を生み出し、しかしそこでの奇跡は皆をはらいそに連れ出でた。
理性は最後に奇跡を残し、そして寿庵は生かされる。
寿庵は、四郎が自らを遺した事実が一番重いとはいえ、
自らの選択が招いたシローの暴走を、言葉もなく振り返るのであろう。
敵は松平伊豆守。強敵ではあったが、
最後は一つにまとまることができずに崩壊した

目指したものは同じだったはずなのに、
四郎のためを願った寿庵と
お蜜のためを願ったシローでは
呉越同舟のそしりは免れないのだった。

とはいえライバル関係として火花を散らしつづけた寿庵とお蜜も、最後の瞬間ではお互いを認め合ったライバルにふさわしい終わりを迎える。

和睦の場で闇討ちを仕掛ける四郎を必死で止める寿庵

戦いの場でお互いが真っ当に認め合うために必要な要素
それはだまし討ちでないことだ。

史実にもあるが原城をオランダ船が砲撃したとき、
原城に立てこもる一揆勢はいきり立ったという。
当たり前である。
国の中の戦に外国の力を借りること自体が恥であり、戦いの上でのタブーである

兵糧攻めで困窮する中であっても必死に活路を求め、しかしそれ自体は敵の戦略としてその巧さを認めないわけにいかない。

優れた軍師は敵の戦略の是非を的確に把握するものである。
それ故に、それだからこそ敵に対して一目置くのだ。
和睦の提案があった時、四郎は寿庵に聞く。
その時、四郎は「罠かもしれない」と言っているがその時、寿庵は即答している

「袋の鼠のこの状況でなぜ罠をかけます。これが最後のチャンスかもしれない」

この判断は寿庵が松平伊豆守の力を、大きさを、憎憎しいながらも認めた上で、「松平伊豆守は卑怯なことはすまい。何かの理由があるはず」であることを認識していたということになる。

いきりたつシローを止め
四郎の闇討ちに即反応する

「松平伊豆守を討ったところで何も変わりはしない!ますます状況が悪くなるだけだ」

この寿庵の言葉は、自らの生きる道が松平伊豆守の胸先三寸にあることを明確に認識しているとも言える。
それは軍師として早くも敵に白旗を挙げる姿かと思えるがそうではない。

「おじけづいたか、寿庵!」

そうではない。戦いにはすべからくお互いに道理がありそれを守るからこそお互いが敵を立てて闘うことができるのだ。
敵と味方、重視する所も考える所も全然違うであろう。
違うから戦う 大切なものを守るために闘う。
一揆軍であれば自らの自由のためにであり松平伊豆守であれば自らの責任のもとに国を動かす責務がある。
だから殺戮が許されていいという意味ではない。

正々堂々という言葉がある。
戦いに勝つのは戦死者が少ないという意味ではない。
大将が死ぬかどうかという意味でもない。
戦いにおいて自らの正義を貫き通せたかどうかがすべてなのだ。

神のために死ぬなんて自己満足だ
神に命を捧げるなど何様のつもりだ

寿庵はシローにそう告げたかったであろう

「血を流したって何も変わりはしない」

意味がなく死ぬことこそ無駄死にだ
皆で生きたかった
そのために兵を挙げ全力を尽くした

そして軍師たるがゆえに戦いの先が見えてしまったこの時、残るのは松平伊豆守との和睦以外になかった

ここで四郎が闇討ちにでたことの寿庵の失望はいかばかりか
心が通っていたはずの
思いが同じはずの
四郎がこんな卑怯な手で敵に向かい合っている

卑怯な手で敵に向かうということはすなわち自らがその程度の集団であることを敵に知らしめることになる
敵を怯ませるための最大の要素は、自軍の目指すべき方向性が明確であることであり、ただものではないと思わせるだけのものがあってこそ

それが闇討ちでは「我が軍は戦のイロハも知らない、ただの寄せ集め所帯だ」
と言っているに等しい

だからこそ寿庵は必死で止めるのだ

しかし一揆軍には寿庵の言葉は届かない
寿庵の冷徹とも言える現実主義は、頭に血が上った一揆軍の中では、ただの負け犬に見えて不思議はない
ただでさえ総大将の四郎の命令なのだ
寿庵の存在は四郎を100%支えたからこその軍師であり
総大将と軍師の意向が違っては
闘うものは総大将の意向に添い、軍師の存在価値は一気に地に落ちる

「なぜわかってくれないの?」

必死で叫びたかったであろう
有能な軍師であるがゆえに闇討ちの先には無残な全滅の道しか見えない
最後まで求めつづけた蜘蛛の糸が、目の前で切れていく様に見えたであろう

絶望に苛まれたその時、寿庵は信じられない言葉を聞く

シローを救いに一揆軍に戻ってきたお蜜。
幕府の密偵として追放したくの一。
常に疑いの目で見ていたその素性はまぎれもなくスパイであった。
自らの見る目はその点では間違っていなかった。
シローがお蜜にそこまでの感情を持っていたことを計算に入れていなかったことだけが計算違いであったがー

「四郎さんよ。こんな所で斬りあってそれでキリシタン3万7千の意地は通るのかい」
「闇討ちなんてのはね、あたしらのような闇に生きる者にお似合いの卑怯な技なんだよ」

驚く寿庵。一揆軍のどの人間よりも、考え方が同じ人間が、こともあろうに
幕府のスパイで、しかもただの少し前まですぐ傍にいたとは。
お蜜はその立場故に苦しんだのだろう。そして最後はここに戻ってきて一揆軍側に加わっている。その思いはいかばかりであったか。
力量を知るライバルだからこそわかる感情。
お蜜の感情をあの時にわかっていれば。
原城でお蜜を糾弾したことは、取るべき策だったのか-
そのことを計算に入れられれば-と思ってしまうのは軍師としての悪い癖なのか。
利用できるものは何でも利用する冷徹さは、ひとえに寿庵の強みでもあり弱みでもあったのは、シローを暴発させたことで嫌というほど思い知らされている。

”感情”は制御できない-そんなことは分かっているが-

そんな思いが去来しようと、まず自らがやるべきことは一つだ。
寿庵にとっては名実共にこれが”最後のチャンス”だ。
四郎を止められれば、まだ先が見えるかもしれない。

「退きましょう四郎様。お蜜さんの言う通りだ。
ここは我らの死に場所ではない!」

松平伊豆守は柳生十兵衛を止める。
寿庵は四郎を止める。
一揆軍の軍師がこの場の停戦を申し出た以上、この場で斬り合うのは道理が通らない。
松平伊豆守はそう判断する。
無論、寿庵にとっても松平伊豆守が柳生十兵衛を止めることを計算に入れている。
それは、「正々堂々」にこだわる軍師としての寿庵の立場を、松平伊豆守であれば判断するための最大の材料として加味すると考えるからだ。

こちらが止めればあちらも止める。決戦は明日だ。今日ではない。
本当のことを言ってしまえば、寿庵は松平伊豆守に詫びたかったであろう。

「こんな卑怯なことをして申し訳なかった。今日のところはどうか許して欲しい。」

総大将である四郎の手前、そんなことが言えるはずがない。
だがしかし、四郎と十兵衛が切り合う中、松平伊豆守が寿庵に向かってくるところに
たじろぐのは、「闇討ち」という卑怯なことをしたことの後ろめたさに他ならないであろう。
普通に考えて、敵の歩みに怯んで後ずさりすることなど、軍師として本来あってはならないことだからだ。

そしてわずかな時間が過ぎる。
恐らく一日が過ぎたのだろう。
原城篭城最後の日。
皆死んでいく。
あてどもなく彷徨う寿庵。四郎を探している。
そして柳生十兵衛の惨斬が寿庵を襲う。
一瞬前で間に合わなかった後悔が、柳生十兵衛を一斬りで斬って捨てる。
四郎にとって救えなかった女性。

最初は名も知らぬ少女。
そして今度は最愛の女。
自らの腕の中で、苦しげに息も絶え絶えさせる姿に、とてつもない
後悔が襲ってくる。

寿庵、なぜ俺はお前の言うことを聞けなかったのだろう
寿庵、なぜ俺はお前を最後まで守ってやれなかったのだろう
こんなに信頼してくれ こんなに愛してくれた女一人救えない
それで何が救世主なのか

人一人救えない男が
どうして3万7千もの命を救えようか

悲しみと後悔が襲いくるその時に、寿庵から声がかけられる

「私は、そんな弱い四郎さんが好きでした」
「はじめて会ったときに言ったでしょう」
「私達の月は満ちました」

最愛の女を自らの手の中で喪う。
男にとってこれほどの絶望があろうか。
しかも引き金を引いたのは自分だ。
自分の弱さが、最愛の女の命を奪った。
どんなことをしても死にきれないというものだ。

そして気づく
自らの奇跡の力を
最初の愛した女を喪い
なくしてしまった奇跡の力を
最愛の女のために取り戻したい
その気持ちが神を通し
命を失った寿庵に注がれる

そして寿庵は目を覚ます
死んだはずの自分が生きている

最後の四郎の口づけにこめられた意味
深すぎる愛情
生かされた意味
どうしようもない絶望
課せられた使命の重さ
それらをすべて表現した、目に光る雫

すっくと立ち上がりしっかりとした足取りで暗闇に消えるー

天草・島原の乱から数年。江戸。
寿庵は天草・島原の乱のただ一人の生き残りとして、そこに立つ
自分の遺された意味は何だったのか
そして3万7千もの犠牲を、
そして自らの最愛の男を犠牲に、
この国がどうなっていくのか、
見つめていく責任が自分にはある

松平伊豆守にとっても、あの場で殺戮をする理由があったのであろう
しかし一揆軍にとっても、あの場で立ち上がる理由があったのである
それそのものに優劣を付けることなど誰にも出来ない

戦いは勝者が正義である
それは一面として確かに事実だ
しかし勝者が正義でありつづけるためには
戦うことの理由を明確に理解し
なぜ闘わなければならなかったのか
そして敵をなぜ粉砕しなければならなかったのか
を明確に意識していなければならないであろう

そして喪われた人命の重さは

生き残った者がその犠牲の上にどのようなものを
形作れるのかによって初めて報われるものなのだ

正義は絶対なものではない
勝利は表面的なものだけでは判断できない
勝利が本当の意味の勝利であるためには
敗れ去った者が敗れ去っただけの意味があるのだと
勝者が敗者の分まで生き
そして証明すべきものなのだ

強者が弱者をねじ伏せた以上
強者には責務が生じるのだ

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『SHIROH』を語る。(21)

●リオっていったい。

 『SHIROH』って、見れば見るほどそれぞれの役の役どころとかが、ある意味分かってくるのですが(もしくは自分なりにしっくりくるところがあるのですが)、見れば見るほどわからなくなるキャラクターが、自分的にはリオであります。

 初日の赤装束&白カツラから、2日目以降の白装束&地毛への変更への思い切り方も凄いものがありましたが、
一応、”聖霊”役ってことで良いんですよね(まだ混乱してる)。

 何せびっくりしたのが、リオってキリシタンではないんですね。
 根拠は2幕四郎様がシローに苦しみを吐露する場面の、
「キリシタンに間違われて殺された、結局自分が彼女を殺したのだ」
ということから類推してですけど。
「間違われた」と四郎様が断じている以上、「もともとキリシタンではなかった」と言うことなのでしょう。

 ただよくよく考えてみると、”聖霊”がキリシタンである必要はなくて、しかも言葉の定義からして”聖霊”って「死者の霊魂」であり
「物質的な身体を持たず人格化された超自然的存在」
というのが一応の定義(「大辞林」での定義)なので、その点では全然おかしくないんですね。

 むしろ、キリシタンでないが故にはらいそに行けずに、現実世界とはらいその間を浮遊する存在、って方がしっくりきます。こういう言い方がいいかはわかりませんが、いわば「成仏できない霊」のような感じ。四郎の奇跡の力を奪ったことが心残りになって、いつまでも成仏できずにいる。
 神様はそんなリオに
「四郎の心を救うことで、はらいそへの道を与える」

つもりだったんじゃないかなと今は思う。
 リオはそれを知ってか知らずか、たまたま神の意志と同じことをしようとしていたのではないかなと。

 神が全人的な、全てをコントロールする(できる)などと言う考え方は、おそらく、およそ新感線的ではないし(”人間”とか”生”とかを重視している方向性からして、”神様が全てを決める”って結論は多分、新感線的には採らない考え方だと思う)、それゆえに(特に四郎に)何もできないでいるリオってもしかして「落ちこぼれの天使?」とかって思ってしまう(←書いてることに悪気ないので念のため)。

 四郎とつくづく心が通じ合わずにすれ違いつづけ、一方通行であり続けるという点は、リオと寿庵に共通しております。むしろ、最後に気持ちが通じただけ寿庵の方が救われたのかも、と思える点もなきにしもあらず。


 そういえば1幕『なぜに奪われし光』で、四郎が語っている部分、

「幼い頃に照らしていた 今はもうやってこない 
 奇跡が起こる あの微笑み」

 何回か見た段階までは、これはリオのことを言ってると思ってたんですが、「今はもうやってこない」のであれば、この時点で四郎に見えている(四郎は見たいと思っているわけではないけれど)リオを指すわけではないのですね。
 で、「奇跡が起こる」のであれば、奇跡の力を結果的に奪ったリオを指すわけではないですね。

 更に「幼い頃」というところまで噛み合せると、何となくこれって
「幼い頃に長崎で出会った少女(=寿庵)」
を指すように思えてくるのですね。
 
 幼い頃に出会っていた、あの微笑み(=寿庵)で奇跡を起こせていた自分が、その奇跡の力で起こした悲劇によって力を失ってしまう(=リオ)、そして再び奇跡を起こせるようになるのは、さんじゅあんの館で再会し、ひたむきに最後まで支えてくれた女性(=寿庵)を、ただ救おうとしたから、というストーリー。ある時、なぜかそう腑に落ちてしまったのです。

 何せ、若かりし頃に会っていたことを今も心にとめていなければ、”さんじゅあんの館”でいきなり、目の前の少女が寿庵であることを見抜くことは無理なわけで、四郎が寿庵を思い続けていたようにしか思えなかったりします。

 ちなみにリオの出ている場面で一番好きなのは、以前も書きましたが『まるちり~握った拳に神は宿る~』の場面。とにかく公演後半になるほどシローやキリシタンとの噛み合い方がゾクゾクするぐらい素晴らしかった。
「この人たちのために歌って!」とか「自分の手で殻を破ろう」とか「その胸に神は宿る」とか「その心の中に」とか、回を重ねるごとに良くなってた。

 そしてふと振り返ってみると、リオが誰かに受け入れてもらった場面は、もしかするとこの場面だけ。四郎とシローにしか見えない少女、四郎には結果的に避けられ続け(特に2幕なんぞ、リオはシローをかまうのに手いっぱいなのか、それとも四郎に寿庵がいるからチャチャを入れられないのか、全然絡む場面がない ←書いてて思ったんですが、本当に気の毒だ )、シローからも見えなくなり、本当に悲しそうに涙を浮かべる。
 
 最後のシーン。リオの口づけがシローの歌の力を取り戻させ、皆をはらいそに連れて行くシーン。直後に、四郎の口づけが寿庵を生き返らせる”奇跡”と対になっていますが、リオにしてみれば、「四郎を救うために、シローと3万7千人の命を犠牲にしてしまった」リオの償いの気持ちなのかな、と思えてきます。

 『SHIROH』の作品がやっぱりいいなぁと思うのは、
 皆がまっすぐ思いを貫き通して、最後まで使命に生きたということ。
 自分達の思いに正直に、嘘偽りのない生き様を見せてもらったことが、やはり何より素晴らしかったと、改めて思うのです。

●新感線&東宝コラボレーション話。

 『SHIROH』は新感線と東宝の共同製作。
 新感線作品と東宝作品の大きな違いといえば、
「メッセージ性の違い」ではないかと思います。

 いみじくも寿庵役の高橋由美子さんが『月刊ミュージカル』2004年12月号のインタビューで、
「新感線作品は、メッセージ色をあまり出さない」
と語られています。

 多分、稽古に入るか入らないかの段階での発言だったのでしょう。
 去年一年間、東宝2作品(『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』)、野田秀樹さん1作品(『透明人間の蒸気』)、長塚圭史さん1作品(『真昼のビッチ』)・・・という、”メッセージ性の塊”ともいえる4作品をやってきた彼女にとってみれば、過去の経験(新感線2作品)から類推すれば、そう判断したとしても不思議はないかなと。

 つくづく、終わった後に役者さんにその役を語ってもらう機会が欲しい。今ならどう言われるのでしょう・・・。

 でご覧のとおり、『SHIROH』は新感線作品には珍しくメッセージ性が強い作品になりました。
 何となく「新感線作品として『エネルギーとホンの一貫性』に、東宝的な『メッセージ性』を加味したミュージカル」のように思えてきます。
 でそれは共同製作だったからこそ出てきたものではないかと。想像ですが。

 新感線作品を見終わったときに感じる、悲劇を語りまくっても最後に筋を通す清々しさは、今回も健在だったし、
 東宝作品を見終わったときに感じる、ある意味過剰ともいえる作品テーマの明確さも、確かにありました。

 それは、新感線作品にとっても、新たな可能性を投げかけるものであろうかと思います。
 新感線作品の良さを生かしながら、一つ上のレベルを目指すために何が必要かということを投げかけられたのではないかと。
 片や、海外翻訳物の繰返しが多い東宝作品にとっても、新たな可能性とともに、ある意味では問題提起であったのではないか、そう思えてしまうのです。
 海外作品であるが故に制約に縛られ、作品のパワーで突っ走れない部分(どことなくこじんまりまとまってしまう部分)をどう解消していくか。その点を明示できた点において意義深いものだったのではないかと思うのです。
 また、複数キャストがある意味当たり前になってしまった東宝作品にとって、
シングルキャストで「物語を深める」ことのメリットを明確に提示できたことも、『SHIROH』の功績ではないかと思ったりもいたします。

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『SHIROH』を語る。(20)

とうとう20回目。2週間かけて書いた文章の文字数に、我ながら唖然呆然。

●『SHIROH』のDVDって・・・・

 ハイライト盤CDがさっさと出てしまって次の注目はDVDが出るかどうか、そして出るならいつか、というお話。
 カメラ自体は12月21日の昼・夜公演(CD収録日と同じ日)にわんさか入っていて、最近の新感線公演ではDVDが出ていない公演はないので、発売の可能性は高いと見てよいのでしょう。

 東宝が関係していますが海外翻訳物でないので、版権がらみの話がなく、主演者関係の権利どころも、上川さん『燃えよ剣』中川さん『キャンディード』でDVD発売済み。そんなに揉める要素はなさそうです。

 で時期的な話ですが、新感線DVDを出してるイーオシバイ(新感線の映像部門が独立した会社なのですね)、DVDのリリース予定がものすごく詰まっております。

 2005/2/28発売 轟天BOX
 2005/上半期発売 いのうえ歌舞伎 EARLY TIMES BOX

 ここまでは発表済み。
 で、この後はDVD発売未発表の新感線作品。

 2005/- 髑髏城の七人(アオドクロ/市川染五郎版)
 2005/- SHIROH
 
 ヴィレッジ制作では『真昼のビッチ』(2005年7月、阿佐ヶ谷スパイダース)もDVD発売未発表ですが、こちらは多分日の目を見ることはないでしょう・・・・カメラは入っていたみたいですけどね(去年11月に主演の高橋由美子さんが日テレに出たときに映像が流れてましたんで)。

 過去の作品のDVDリリースまでのタイミングを見ると、最新DVD
『髑髏城の七人(アカドクロ)』が、2004/12/23発売で、公演楽が2004/5/24。つまり、7ヶ月空いています。
 とすると、『髑髏城の七人(アオドクロ)』が今年5月頃、
『SHIROH』が今年8月頃、というのが現実的な時期と言えそうです。

 しかし。
 『髑髏城の七人(アカドクロ)』は、DVD発売の前に、イーオシバイが映像を編集して映画館で上演するという、”演劇界初”の試みをやっております(ちなみに発売されたDVDとは映像が別です)。
 東京・丸の内東映の2004/9/18が封切り(全国6都市上映)でしたので、実際は公演から4ヶ月後に映像が再び流れたことになります。

 で、不気味なのが去る1月22日(土)付の日本経済新聞夕刊3面『演劇 映像で楽しむ』という記事。
 イーオシバイのプロデューサーが登場されていて、

「今年も二作品を映画館で公開する予定」

とされています。

 『髑髏城の七人(アカドクロ)』は東映系放映だったわけですが、よく考えてみると、
 『髑髏城の七人(アオドクロ)』は制作が松竹&新感線。
 『SHIROH』は制作が東宝&新感線。

 松竹と東宝は映画も本業です・・・・
 アオドクロは2月あたり、SHIROHは5月あたりに、その映像が見られることになるのではと・・・・淡い期待をしてみる。

※一応念のため
 「2作品」が上記の『髑髏城の七人(アオドクロ)』と『SHIROH』に該当すると明言されてはいません。
 あくまでその辺は推定(と想像と願望)です。

2/18追記-------
『髑髏城の七人(アオドクロ)』の映画館放映が決まりました。
3月21日から、丸の内東映にて放映となります。
地方は、札幌、横浜、新潟、名古屋、大阪、広島、福岡が予定されているとのこと。
詳しくは公式サイト

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『SHIROH』を語る。(19)

●罪知らぬ者と罪知る者

 1幕、四郎の登場シーン。

 「罪知らぬ者が罪知る者を裁くというのなら、その裁き、この四郎の刃が覆してくれる!」

 益田四郎時貞役、上川隆也さんの小気味いい啖呵に痺れる場面。

 ここでは
  罪知らぬ者=役人(”小役人”を演じさせればなるしーの右に出る人いないよなぁ)
  罪知る者=キリシタン
 なわけですが、

 「罪知る者が罪知る者を裁く」
 ことを否定していないということに気づいた。

 つまり、
  罪知る者(裁く方)=神
  罪知る者(裁かれる方)=キリシタン
 であり、
 「罪知る者が罪知る者を裁く」
 となるのがこの物語。

 その”裁き”は3万7千人皆殺しながら、しかしその魂ははらいそへ招かう。

 四郎は一幕一番最初から、「罪知る者」として、苦悩と自信喪失の中にある。志はある、だが力がない。だからその欠片を寿庵が埋めた。
 それゆえに、一幕で四郎を励ましつづけた(四郎にとっては苦痛であり、過去を振りかえさせられる拷問以外の何物でもなかったが)リオが、四郎に見えなくなったのかなとも思う。
 ある意味、四郎はリオを見る必要がなくなったのかもしれない。寿庵の存在によって、ありのままの自分を見れるようになったおかげで。
 四郎は自らの罪に苛まれ続けた段階から、寿庵に支えられることで「罪」を乗り越え、”自らが何をすべきか”という使命感で動くことができたのだと思う。

 対してシローは、ピュアでありすぎるが故に、「罪」を知らない。ゆえに利用されぼろぼろにされ、3万7千人皆殺しの引き金を引く「罪」を犯す。
 2幕最初でシローは洗礼を受けてキリシタンになっているが、キリシタンになった=罪知る者に自動的になるわけではない。キリシタンとなり我を見つめ、神に祈ることで、「罪を知っていく」のだと思う。
 
 「罪を知っている」四郎と、
 「罪を犯し、罪を知った」シロー。
 2人のSHIROHが「罪を知った」ことで、はじめて神は彼らを裁くことができ、3万7千人の御魂とともに、2人のSHIROHをはらいそへ連れて行けたのかなと思う。

●原作戯曲とCD

 新感線公演でいつも凄いなぁと思うことが、サントラCDの凄まじく早いリリースと、原作戯曲の存在。
 サントラCDは公演終了後販売しない代わりに、初日からサントラCDが並んでいるというのが新感線公演の定番。芝居リピートするのにこれほど強い引力をもったグッズはないと思う。
 いくらライブ盤でないと言っても、曲がシーンを思い出させてくれるし、公演がまだやってるからまた映像で見たくなる。つくづく上手いなぁと思う。

 今回の『SHIROH』は公演ライブ盤でしたから、帝劇公演中には発売されずに、大阪初日で発売でしたが、このタイミングも絶妙。帝劇は観客層も広いということでCDなくてもリピーターが確保できて、大阪は短いこともあってCDで盛り上げを狙う。少なくとも観客動員的にはまっとうな結果になったことの一つに、このCDの存在があったと思う次第。

 ※今回のCDは、帝劇ではチケット売り場で売ってます(2005年1月現在)

 で原作戯曲。これは要するに台本の書籍版。論創社というところから出ていて、大阪公演では品切れで予約を受け付けていました。現在増刷中(ISBN:4-8460-0495-3、1800円)。

 今回はミュージカル作品だったために、原作の中島かずきさんが書かれた原作戯曲と、公演の演出にはいくつか目立つ違いがあります。

 大阪公演の方はまだ戯曲を見られていないと思いますので、
ネタバレを若干含みますので、以下ご注意ください。

◆十兵衛が斬られるシーン
 一番大きな違いはここでしょう。いわば「敵にも五分の魂と五分の理」的な、いのうえKABUKIテイストが入ってます。
 公演では四郎があまりの怒りに我を忘れたかのように一斬りで十兵衛を葬ってますが、何せあの後に寿庵との今際のシーンが控えているために、十兵衛の”戯曲”バージョンを入れようがないという。
 この辺が入らなかったのが、「新感線的でない」って感じがします。
 中島さんは新感線的なホンを書いたけど、いのうえさんがミュージカルサイドに演出を持っていったような雰囲気です。

 だからどちらかというと寿庵と四郎の今際のシーンも、舞台で強調されていた恋愛バージョンよりも、戯曲は寿庵がすごく強く描かれてる。
 舞台では、「軍師である前に女性」という趣でしたが、
 戯曲では、「女性である前に軍師」という趣。

(戯曲にものすごく印象的な一言があります。
これはぜひ戯曲でご鑑賞を)

 高橋由美子さんはどちらも出来そうだと思うけど、舞台で見せた感情移入ばりばりのシーン進行の方が好き。

 でもこのシーン、
 四郎と寿庵の関係を浮かび上がらせるためにはこれしかなかったのかも。
 うわごとのように四郎を求めた寿庵。
 すんでのところで間に合わず寿庵を失う四郎。
 そのシーンへの盛り上げ(このシーンより前の部分)は今のところ寿庵が一手に引き受けている。
 つまるところ、寿庵から四郎への恋愛感情をすごーく上手く掬い上げている。
 四郎から寿庵へは意図的に抑えているような、そうでないような、複雑な感じ(さんじゅあんの館とか、砂浜とか、若干思わせぶりなシーンはあるけど)。

 若干、朴念仁みたいなところも、なきにしもあらず>四郎殿
 そうか、あてがきですか(爆)

 新感線テイストといえば、ここで戯曲バージョンに移行すると、
『野獣郎見参』の美泥役と、どぴったりシンクロしてしまいそう。
 全ての試練を乗り越えて、生き抜いていく感じが似てる。
 美泥役の女っぷりを増したのが、寿庵役という雰囲気さえ感じる。

 『野獣郎見参』のDVDを見てると、寿庵が知恵伊豆に言葉で掴みかかるシーンが欲しかったなぁ、とか思う。
  「どこまで人の心を弄ぶ!」とか
  「それが幕府を束ねる松平伊豆守のやること!?」とか
 今の由美子さんの声量でど直球にやって欲しかった。

 ※参考までに、『野獣郎見参』の美泥役の初演は、『花の紅天狗』の赤巻紙茜役と同じく、高田聖子さん。『SHIROH』ではお紅役をされた新感線の看板女優さんです。

◆ちなみに
 この作品の最初、『組曲「約束の地」~いんへるの~』の寿庵の歌詞、公演当初、何度聞いても覚えられなかったのですが、戯曲のおかげではっきり分かりました。

 「語ろう」って言ってるとは思ってなかった。

そういえばそうだよなぁ。
語り部役なんだよね。

CDが発売されたのでそういう面で戯曲の出番はなくなったけど、
収録されていない曲はやっぱり戯曲頼り。
まぁ要するに『さんじゅあんの闇市(リプライズ)』のことなんですけどね(我ながら女々しいとは思う)。

◆おまけ
 大阪・梅田コマ劇場で歩いていたお客様のコメント

 「東京公演終わってるから、
『SHIROH』のDVD出てるんじゃない?」

 ・・・いくらなんでもそれは無理かと。
 イーオシバイのスタッフさん死んじゃいます(笑)。

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『SHIROH』を語る。(18)

●シローについて その2

『SHIROH』を語る。(11)」でシローについて、どちらかというとネガティブな書き方をしたわけですが、振り返ってみますと、もう一つ、別の方向性で感じたことがあるので、書いてしまいます。

この作品でシローのピュアな心情は飛び抜けていて、2幕中盤まで見ていると、「心の澄み切った様がそのまま声に映しとられてる」印象を受けます。

そんなシローが狂気に暴走していく、2幕終盤の様が「理解できない」と前回は書いたわけですが、ある面、暴走してくれてシローの存在を一部否定できて安心した自分がいたのです。
シローがたどったその様は、不憫でならないけど、自分は信じられない。
そう思い込んで、四郎の心の動きに没入することで、シローの存在を小さく小さく見ようとしていたところがあるような気がする。

これは役者さんがどうという意味じゃなくて、シローのあまりのピュアさに、”妬ましくなる気持ち”というのがすごくわかるという方が正しいのかもしれない。
嘘偽りない気持ちが、まっすぐ向かってくる怖さから、逃げ出したくて仕方ない気持ちという表現が的を得ているかも。

何度か触れている2幕「幕府の犬に断罪を」の場面で、お蜜を裁く場面に呼ばれなかったシローは、四郎・寿庵・お福・甚兵衛に向かって、「あんたらも騙しているのは同じだ」と叫んでいる。

なぜお蜜を裁く席に、シローを呼ばなかったのか、
「我らは君のことを案じて呼ばなかったのだ」と四郎。
「あなたがこの事実を知るのは辛すぎる。だから内緒にした」と寿庵。

ここのやりとりを見ていてショックを受けたのが、あぁ、こういう風に「あなたのため」とごまかして、その実「自分のため」に行動することってあるよなぁ、ということ。

一言で言ってしまえばそれは「偽善」なわけですが、
「相手のためを思うなら、相手にとって辛いことだろうと何だろうと、言わなければならないことがある」ということがどれだけ難しいことか、ということを思い知らされます。

だからこそ、そんな「偽善」を暴くシローの言葉が痛すぎた。
だから、シローを正面から受け止めるのが怖かったのかもしれない。
今見ると、少しシローに感情的になっていると思われるあのページは、今からすると「余りに大きすぎる、余りにピュアすぎる」シローに対する嫉妬に見えなくもない。

書いた時から薄々感じていたことではあるんですが、前回はその辺をありのままに表現する勇気がなかったので、わざとぼやけて表現してました。
でも、作品を語り、役を語り、役者を語っていると、これだけの作品だからこそ、書き手にも容赦が許されないということをいみじくも感じ取ってしまうのです。
だから、あえて自分の弱い部分も書いてしまいます。
それが『SHIROH』から投げかけられた、試練なのだと思うから。

●ちょっぴり余談
『SHIROH』を語る。(9)に書いた「演劇ぶっく」2月号。
2冊目を購入してきました。

なぜかというと、「演ぶチャート」応募葉書がどっかいってしまったんで・・・・(なんとも情けない理由だこと)
何気に悔しくて買ってきた次第。
1月25日消印有効です。
『SHIROH』に感動された方、ぜひ皆様の一票を。

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『SHIROH』を語る。(17)

●恵みの雨

 ミュージカルファンにはおなじみこのシーン、『レ・ミゼラブル』2幕中盤にある曲。

 革命に参加する学生の一人、マリウスがコゼットに恋をする。片や、エポニーヌという女の子もマリウスが好きだった。
 昔、エポニーヌはコゼットをいじめていたのに、親の没落、主人公であるジャン・バルジャンにコゼットが救われる(救った理由はコゼットの母親であるファンテーヌが死ぬ時にバルジャンに後を頼んだから)といった事情のもと、立場が完全に逆転。そしてマリウスを挟んだ三角関係が展開。
 エポニーヌの拙い片思いはずっとマリウスに気づいてもらえない。が、マリウスを狙った銃弾をかばい、エポニーヌが撃たれたことで、エポニーヌはマリウスの腕の中でその生命を閉じることになる。

 その時歌われる、エポニーヌ&マリウスのデュエット曲がこの曲。

 『レ・ミゼラブル』未見の方でも『SHIROH』見られた方はある程度想像がつくフリかと思いますが、『SHIROH』2幕後半、「四郎の懺悔」が多少の違いはあれ、これとそっくりであります。
 違うのは「恵みの雨」が男性が生き残る(=奇跡は起きない)のに対して、「四郎の懺悔」は女性が生き残る(=奇跡が起きる)というただ一点だけと言っていいほど。

 寿庵役の高橋由美子さんはエポニーヌ属性だと思ってたんですが、何せそれより年上役のファンテーヌ役をやってしまったので、永遠にエポニーヌ役は見られない、ということで『花の紅天狗』での某パロディシーンで我慢していたわけです(※)。
 
 が、まさか今回、しかも上川隆也さんというすばらしい相手役と、全くもって同じようなシーンを見れると思っていなかったんで、すごく嬉しかったですね。

 ちなみに、1幕「さんじゅあんの闇市」での「役人だ、役人が来るよ~!」って叫びも、レミゼ1幕・バリケードのエポニーヌの叫びに雰囲気が似すぎてます。あれも本当に役人来るし(笑)。

(※)「奇跡の子」(ヘレンケラー)をミュージカルにするという奇想天外な組み立てのもとに、「オン・マイ・オウン」(レミゼ2幕前半、エポニーヌの決め所のソロ曲)に似てる曲を歌ってます。

 
 この「四郎の懺悔」のシーンについては、「私たちの月は満ちました」について、コチラのページに書いていますが、もう一つの視点として。

 四郎が松平伊豆守信綱に対し、闇討ちを図ったことは、寿庵にとっては「はじめて四郎が信じられなくなった瞬間」に見えるのです。
 少し前、お蜜が幕府のスパイと判明した時(「幕府の犬に断罪を」)、お蜜をかばおうとするシローに対して、四郎は自らの剣を抜く。

 「お前がスパイと逃げるというのなら、私はお前を斬らなければならない」

 この場にいたのは、寿庵のほか、甚兵衛とお福、3人。
 帝劇では、3人とも四郎の剣を抜く姿に、驚愕する反応をしていた。が、梅コマで3回見た限り、寿庵だけは身じろぎもしていなかった。「四郎がシローを斬るというのなら、それには立派な理由があるのだ」という、無条件の信頼。
 そこで見せた無条件の信頼と、あまりに落差のある、”闇討ち”という手段。
 これだけ長い作品の中で、寿庵が四郎を止めた場面は、ただあの場面だけ。

 四郎を愛しつづけ、信じつづけた寿庵が、ただ一度四郎を信じられなくなったその瞬間。
「さんちゃご、四郎様」と呟いた寿庵であっても、やはりそれは四郎に対する、小さな、しかし大きな疑問として残ったと思うのです。

 がしかし。寿庵は十兵衛に斬られ、四郎の腕の中で息も絶え絶えになるその時。
四郎は懺悔する。自分の心の弱さがシローへの嫉妬を抑えきれず、その焦りが”闇討ち”という卑怯な手段を思いつかせ、皆を殺してしまった・・・
 寿庵にほんの少しだけ残った四郎へのわだかまり。
 それが引き起こされた理由が、四郎の「弱さ」によるものであったと、告白される。

 寿庵は、思う。
 そんな四郎の「弱さ」を信じ、愛してきたことを。
 四郎は確かに信じていた「四郎」だった。

 だからこそ、寿庵は「私たちの月は満ちた」と言えたのだと思う。


●信じるということ その2

 ちなみにその1は「『SHIROH』を語る。(8)」をご参照。

 2幕中盤、原城の食料庫の見張りを命じられているお蜜の前に、怪しき人物が現れる。妹・お紅である。
 実の姉に狙われたことが腑に落ちないお紅。が逆にお蜜に問い詰められてふと言う言葉。

 「誰も信じないのが、伊賀の忍びだろ?」

 ここで、お蜜はこの発言を肯定していない。話をはぐらかすかのようにその言葉とは向き合わない。
 つまり、ここでシローを信じていたお蜜は、「伊賀の忍び」ではなくなってしまっていた、それをお蜜自ら自覚したのだろう。

 だからこそ、伊豆守の命を奪おうとして、お紅に組み敷かれた時、答える。

 「お前にはわかんないよ」
 
 「誰も信じない」くの一には、「誰かを信じる」ことを知った”女”の気持ちは、わかるはずがないということを。
 信じた人間・シローのために死んだということ、それが目の前で起きたにもかかわらず、なぜそうなったのかが分からない。

 「信じること」の喜びとともに天に召されたお蜜と、
 「信じること」ができずに佇むお紅。

 この関係も興味深いものがあります。

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『SHIROH』を語る。(16)

●今日は一人語り

1月18日の大阪公演で、『SHIROH』大千秋楽。
各所にレポが上がり始めているのを大変ありがたく拝見しています。

私にとっては1月16日昼公演で、自分として納得して初演・生でのこの舞台を封印したので、千秋楽は遠い空から見守っていました。

大千秋楽は結局当日券も出ていたそうなので、新幹線に飛び乗って新感線を見に行くことも出来たのだけれど(ちょうど寝坊して会社に間に合うぎりぎりだったし(笑))、「お祭りに参加したい」と思った反面、「あの素晴らしい出来で自分の記憶を止めておきたい」という気持ちがまさったのでした。

1月9日にこのブログをスタートしたのですが、
『SHIROH』のエネルギーには脱帽です。
具体的なアクセス数で表現すると、10日間で4000アクセスです。
他のブログでも『SHIROH』をキーワードに入れるとアクセス数が激増するらしいですね。

この「ココログ」というシステム、どのキーワードでこのページに来たかが検索できるのですが、当初は、「上川隆也」さんが群を抜いて高かったのです(お一人で10%近く占有してました)。が、日を追うにつれて「SHIROH」の率が高くなってきていて、いまや10%を超えてます。
出演されている役者さんで見ていた芝居が、芝居そのものの熱さに転移していて、よりいっそう熱くなっていく様子が手に取るように分かります。

ブックマークからのアクセス(つまりこのページを指定して見にきていただいている方)が15%超あるのも、すごくありがたいです。

ちなみに、役者さんでは先ほど書きましたように「上川隆也」さんが群を抜いているのですが、次を「中川晃教」さんと「高橋由美子」さんが壮絶な2位争いをしております。日によって2位と3位が入れ替わるデットヒート状態。普通のページは中川さんが2位になるのは当たり前なのでしょうが、当ページは由美子さん推しを公言してしまってますので(笑)、見てくださっている方もその辺りを心得てくださっているというか・・・
『SHIROH』話が終わったら次は『MOZART!』話になるというのが今から想像できるというか、はい、その予定であります。

●奇跡が起こる
 この『SHIROH』の舞台の制作が発表されたのは去年2月ぐらいだったかと思います。当初、上川隆也さんと中川晃教さんのW共演だけが発表されて、ストーリーがさらっと発表された時点で、何かびびっと来るものがあって、言葉にしにくい予感らしきものが、何かありました。まさかこんなに化けると思ってなかったけど・・・

 その時点で既に新感線&帝劇両方経験組で、高橋由美子さんが出演することはもう脳内的には確定だったのですが、4月に正式に発表されてからは他のメンバー含めて、化け化け確定というか。

 泉見洋平さんは既にレミゼのマリウス役の進化ぶりに期待をもたせるものがあったし(いや私より年上だけど)、見たことない人の中でも植本潤さんの役の幅の広さとか、江守徹さんの威厳とか、脳内想像できて。
 さんざこの舞台見た後では「予感」なんて言葉に説得力ないけど、キャスティングのあまりの深さにただもんじゃなかろうと・・・

 そんな形で1年待ったこの作品が、自分の予想しなかったほどに凄いものになって、こんな形で大阪千秋楽を迎えられるとは、本当に感無量のものがあります。

 かかわったキャスト、スタッフの皆様に本当に感謝。この舞台を見る偶然を作ってくれたキャストにも感謝。

 もともと神様信じるタイプじゃないんですが、今回の作品の経緯見てると、やっぱり神様っているんだなという思いが。

 残念ながら休刊になった、「レプリーク」2004年12月号にあるのですが、あっきーを新感線のいのうえさんに紹介したのは由美子さんでしたが(いのうえさん&あっきー&由美子さんの組み合わせで「花の紅天狗」パンフレットの対談でもそういう話をしてます)、それも初演『MOZART!』で共演したからこそだし。

 ちなみにまだ記事のさわりは残ってます→コチラ

 あっきーがM!に出たのも、小池修一郎氏(宝塚歌劇団)が見出すまでには偶然があったみたいだし(確実な話ではないのですが、元々は別の方が出演予定だったそうですね。あっきーを小池さんに紹介された方がいるらしい)、由美子さんが新感線に初出演(『野獣郎見参』、2001年)に出たのも、東宝の某作品からの紹介みたいだし(これも確実な話ではないのですが)、M!に出たのはアイドル時代に『アニーよ銃を取れ』(新宿コマ劇場・中日劇場、1997年)で演出した小池氏が、キャストとして温めていただいたからこそだし。

 その辺りの偶然の積み重ねをある程度見聞きしてて、その偶然が一つでも欠けると実現しなかったとか思うと、なんかもう、この作品がこのキャストで実現したこと自体に「奇跡」しか感じられなくて。
 始まる前からそんな感情移入してる状態で、しかも作品であれだけの物見せられてはリピートするしかなくて・・・

 過剰に熱くて思い入れ入りまくる文章の裏にはそんなドラマがあったと(笑)

 この後も、思い出しながらつらつらと書き連ねるつもりです。
 こんなオーバーヒート気味のページですが、よろしければ
「今後ともどうぞご贔屓に」カマキリとエリマキトカゲ風にどうぞ)。

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『SHIROH』を語る。(15)

日ネタが続いたので、真剣モードで語ります。

●目は口ほど(以上)に物を言う
 2幕「幕府の犬に断罪を」。お蜜が幕府の隠密であることをきっかけに、一揆軍の間にひびが入っていく転回シーン(なんでCDに入っていないんだよぉ)
 追い詰められたお蜜は全てを明かし、裏切られたシローは絶望に暮れる。

 舞台に残るシロー、四郎、寿庵。
 お蜜に裏切られたシローと四郎は一瞬だけ目を交わす(帝劇では一度も気づかなかった。何となく大阪の新演出か)。
 このシーン、シローの視線は客席から見えない。がしかし四郎の視線は見える。
 シローを憐れむでもなく、同情するのでもない。何とも言えない「同じ痛みを抱えたことがある者の視線」。

 純粋ゆえに傷つくことを知らなかったシロー。
 それに比べれば、四郎は今まで多くの傷を負っていたのだろう。
 四郎は、かつての自分をシローに見たのではないか。シローの危うさを身を持って知っていたような気がしてならない。

 ふさぎ込むシローに話し掛けようとする寿庵。それを止めにかかる四郎。

 これもたった一瞬、言葉はない。

 「何が言えるというんだ? 
 これは彼が乗り越えなければならない壁なんだ」

 そう、四郎が語ったように思えた。

 その四郎の眼差しの強さに、本当の厳しさであり本当の優しさを感じた寿庵。
 何も出来ない悔しさを全身にまとい、駆け出すように去っていく。
 
  何も信じられなくなったシロー
  何もできなくなった寿庵
  何もするべきでないと見た四郎

 3人それぞれが打ちひしがれた様が、本当に悲しかった。

●リオは見えるのか?
 リオが見える2人のSHIROH。
 しかしリオは時が進むにつれ、四郎に見えなくなり、やがてシローにも見えなくなっていく。
 「心の純粋さ」をもつ「神から認められし御子」だけに見ることを許された少女。

 2幕宴の後、四郎がシローに問いかける「もう私には見えなくなったかと思った」という言葉は、あまたの苦しみを乗り越えてきた四郎にとって、どのような思いだったか。
 「リオを殺した罪」は永遠に背負っていくべきもの。いつまでも見ていなければならないはずの少女-もちろん見たくて見るわけではない-がなぜ見えなくなったのか。

 「壁を乗り越えた」ようには見えない。「神が許した」とも思えない。
 四郎にとって、リオが見えなくなった意味が、分からなくなっているのではないか。

 純粋であったシローが、「砂の城」で振り返る時、リオが見えていないように見える(リオが存在していることをわかっているように見えない)。リオはこの場面で泣いているが、それは「自分の存在を見てもらえる人(=純粋さ)」を失ったことの悲しみだったのではないか。
 
 リオは神の使いとして、四郎とシローを出会わせ、そして3万7千人皆殺しの引き金を引いてしまう。神の身勝手さを詫びる赦しの口付けがシローを生き返らせ、シローの歌声が四郎、3万7千人の魂をはらいそに連れて行く。
 神は自らの罪を後世に語り継ぐために、四郎が生き返らせることを望んだ寿庵を一人、この世に残した-

●月はいつ満ちる
 「私は満月よりも三日月が好きです」@寿庵(1幕 さんじゅあんの館)
 「我らの月は満ちた」@四郎(同上)
 「私たちはこんな月を描けているだろうか」@四郎(2幕 砂浜のシーン)
 「私たちの月は満ちました」@寿庵(2幕 四郎の腕の中での今際のシーン)

 「月」といえば、さんじゅあんの館では三日月、
最後のシーンで満月。とばかり思っていました。
 それというのも、寿庵視点で見ていたから。

 寿庵にとって「月」は”想い”の象徴。
 寿庵から四郎への片思い=三日月であり、
 今際のシーンで四郎の腕の中で死んでいけることで、
残りが満ちて、満月へ

 ふと四郎視点で見てみたところ、

 四郎にとって「月」は”希望”の象徴。
 自信を失った四郎=三日月であり、
 自信の欠けた部分を寿庵が埋めたことにより、
残りが満ちて、満月へ

 満ちるタイミングが違うことが、意味深。

●月と空、そして太陽
 「月」が一揆軍の象徴であるなら、幕府軍は「空」「太陽」。
 1幕でお蜜が歌う「空のしくみ」に出てくる「太陽」は「月」さえも隠す圧倒的な”支配”を暗喩しているかのよう。

●多少余談 MP3プレイヤーに『SHIROH』宿る その2
 ちなみに第1回は「『SHIROH』を語る(12)」をご参照。

 私の携帯用MP3プレイヤーは曲順を変更するのが面倒なので、『SHIROH』収録曲は、「01_組曲~約束の地~」のように連番を付けて、まとまって流れるようにしています。順番は文字コード順なので。

 『SHIROH』の最後は「18_はらいそ」なのですが、一度格納して『SHIROH』の曲を聴き終わり、さぁまた最初から聞こうと思ったその時に流れてきた曲。

 「A Song For You」

 という曲。

 この曲名を聞いてすぐ反応する人はそれほどいないかと思いますが、寿庵役の高橋由美子さんがアイドル当時に、ただ1回、

本名で作詞して歌った曲

(ペンネームで作詞した曲なら他に1曲あります)。

アルバム『Tenderly』(1994年7月21日発売、多分廃盤になっているのですが、中古CDショップではよく置いてあります)に収録。

 実はこの歌詞が発表された当時、ファンの間では相当の物議を醸したのです。
 それというのも

  私がいま いなくなっても 時は刻まれてゆく
  あなたが生きてる限り
  私は あなたの心の中に 生きているから

  悲しまずに 歩いてほしい
  想い出は 微笑みに変わる

 という歌詞。
 (この頃からファンを翻弄する小悪魔的なところはあった(笑))

※ちなみに、1994年にテレビ朝日系列で放送された『南くんの恋人』で彼女自身が演じた、
 堀切ちよみ役が、この歌詞を作ったきっかけ、という話を本人が語ったことがあるらしいです。

 すわ引退か?と騒がれた歌詞を、10年経った今、「私」と「あなた」をひっくり返してみる。

  あなたがいま いなくなっても 時は刻まれてゆく
  私が生きてる限り
  あなたは 私の心の中に 生きているから

  悲しまずに 歩いてほしい
  想い出は 微笑みに変わる

 と置き換え、

 「私」=寿庵
 「あなた」=四郎

 をあてはめると本当に『SHIROH』そのものだ。

 しかも、本人作詞だから尚更泣いてしまう。
 15年来、ずっとファンをし続けていると、過去とシンクロする瞬間がある。

  20歳で「私」が死んでも「あなた」の心の中に生きているから

 と語った人が

  30歳で「あなた」が死んでも「私」の心の中に生きているから

 と語りかけていることに、

 運命を感じてしまう。

 全く意図せずに、
 この曲が『SHIROH』「はらいそ」の次に来てしまったことにも。

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『SHIROH』を語る。(14)

舞台の神様、梅コマに降臨。

1泊2日3公演の遠征より、帰京いたしました。
東京公演が始まる時、東宝テレザーブで押さえたチケットは8枚。
大阪公演を見に行く予定はありませんでした。

ところが公演が始まってみると、あまりの化けぶりに末恐ろしくなり、
これは大阪を見なくてはと土日遠征を急遽計画。
新感線では『花の紅天狗』でも2年前に同じことをやったなぁ・・・
最初から大阪押さえておけばよかった。

ちなみに帝劇もその後3公演を追加して合計11枚、
1月16日マチネで自分としては最終なので合計14枚。

3公演の鑑賞感想をあっさりと記号で表現してしまうと(記号で表現する失礼はどうかご容赦)

 1月15日マチネ 舞台の出来 ○ ご贔屓の出来 ◎
 1月15日ソワレ 舞台の出来 ◎ ご贔屓の出来 △
 1月16日マチネ 舞台の出来 ◎ ご贔屓の出来 ◎

という感じです。

ちなみにご贔屓というのは山田寿庵役の高橋由美子さんのこと。
彼女の場合、マチソワだと、喉が温まるソワレのほうがいい出来になることが多い(←新感線以外の舞台はパワーより技術で演じることが多いから)のですが、この舞台に関してはパワーを使いまくっていると言うか、ソワレはやっぱりキツそうなところがちらほら。

最後まで千秋楽を軸に日程を立てるか、どちらにするか迷ったのですが、やっぱり新感線は「楽前の日曜日の昼1回公演」が一番出来がいい、と自信を持って言えます。
楽は何だかんだ言ってもお祭りになるわけですし、楽前の日曜日は同じぐらい客席が埋まる上に熱い(1月16日マチネは満席で、補助席もフル回転してました)ので、本当に集大成に相応しい出来でした。

・・・東宝系なら楽日に挨拶するけど新感線はそれもないから、まぁあえて平日の楽に行くのも大変だなーとか思ったり(本気でひとり言)。

一つ一つのシーンの「意味」を役者が深く深く受け止めているわけですね、この時期になると。
帝劇最初の方では「ただ歌っていればいい」かのように歌われていたお福(杏子さん)も、見違えるように感情の入ったシャウトを聞かせてくれますし、リオ(大塚ちひろさん)が素晴らしい進化です。

今回の『SHIROH』、メインのキャストが「自分達の今まで培ってきた良さを全開に出しまくってる」感じがするんですね。上川さんの苦悩の演技、中川さんの澄み渡る歌、由美子さんの確固たる存在感、秋山さんの過不足なき心情表現、どれを取っても「今までの集大成」を見せてもらっているような印象があります。

そこへくると、大塚ちひろ嬢の場合は若い(『SHIROH』カンパニーでは唯一の10代。現在18歳)こともあって、演技も歌も存在感も、確立したものがまだない状態でこの作品に入っているように見えます。
が、やっぱり若く、周囲からエネルギー、パワー、技術を吸収するスピードはすごく早くて、帝劇以降、最も変化できたように思います。
役が役者を育てるというのもあるけど、作品が役者を成長させる好例ではないかと思う。

それでは日ネタ(1月16日分)に行きましょうか。
とはいえ、正直、あんまり日ネタは面白くなかったこの日。シリアスモード全開だったからなー。

●甚兵衛&主水
 16日マチネ「ここはお笑いの2人に任せて、ワシらは足の踏み場もない池田さんの楽屋を片付けに行きましょうか」
 
 なるしーの返しは「よろしくお願いします」だったのだが、なぜお願いしながら鞭を振るうかなこの人は・・・ 「粗大ゴミ!女!」とか言ってるし。

●主水の客いじり、やっぱり続行
 16日マチネ「押したね? 私をこの女の人に売ろうとしたね?」

 ・・・いくらなら買います?(爆)

●寿庵&小左衛門
 16日マチネ「こちらの目の充血しているお方は」@寿庵
      「うさぎちゃんと呼ばれています」@小左衛門
      「こんなチビスケがと言いたげですね」@寿庵
      「君、僕のこと馬鹿だと思ってるでしょ」@小左衛門
 小左衛門の返しは、いずれも初めて見たパターン。
 4コメントともに会場の笑いを誘っておりました。
 もちろん、寿庵の効果音付きの蹴りは梅コマでも健在です。

●ざんす&殿
 15日ソワレで書き忘れ。
  「ありがとうございます」@ざんす
  「どうしてそんな大仰な言い方をするのかな」@殿
  「時代劇ですから」@ざんす
 ・・・会場笑い。
 
 16日マチネは単に「どういたしまして」@殿
 で終わってました。

 ※分からない方へ 「ざんす」は松倉勝家役の右近健一さん。この方の歌う歌には語尾に「ざんす」が付くことが多い(2幕でも1曲ある)。殿は言うまでもなく伊豆守(江守徹さん)。

●しげちゃん弱気モード継続中
 帝劇では到着点が毎公演予想できなかった伊豆守&しげちゃんの対決シーン。
 梅コマではことごとく、しげちゃんが逃げまくっており、掛け合いになってません。

 16日マチネでは、伊豆守が戦いを仕掛けた!
 
 「踊りも歌も上手いけど・・・」

 とまで言ったところで、しげちゃん退却。

 「ちぇ、逃げられちゃったよ」とぼやく伊豆守。なんかかわいい(こらこら)

 そこに続く十兵衛の突っ込みは、
 「あんなアリナミンを飲んでも殿とアドリブ対決する勇気もない奴」(当然会場爆笑)
 でした。

●大根その後
 15日ソワレで大塚さんが客席に放った小道具の大根。
 16日マチネでもめでたく闇市のシーンに登場(予備あったのね)。
 ギターの岡崎さんが闇市で大根を買おうとするのですが、「お金がない」というジェスチャーで、何とギターと引換えで大根を買っていきます。いいのかそれで(笑)。

●シローの投げキスは誰に
 2幕「光を我らに」で、シローが上に上がっていくとき、下に座っている人に対して投げキスをするのですが、16日マチネは、寿庵役の
高橋由美子さんとアンサンブルの高谷あゆみさん(一幕で四郎に「耕しましょう~」て言って本気で嫌がられている人です)がお互い、「え、私にしてくれたの?」ってはしゃいでました。
 で面白かったのはその後。由美子さんがもしかして・・・って表情をして指を差した先にいた人は、甚兵衛役の植本潤さん。噴き出したよ。面白すぎだこの人たち・・・

 15日ソワレで初めて登場した(と思われる)、このシーンでの四郎&寿庵のツーショットは16日マチネでも登場してました。さすがに今日は叩いてなかった。嬉しそうです。寿庵。

●大阪で変わった演出その2
 闇市で四郎とシローが出会うシーン。
 四郎と十兵衛が斬りあうところ。シローとリオが話してるところに、十兵衛が「おい、ボーズ」と突っ込む。シローが振り返り、「何ごちゃごちゃ話してるんだよ!」と突っ込む十兵衛。
 
 主水がシローに「ワシの髪型を真似しおって」と突っ込んで、シローが自分の髪の毛を気になるかのように掻き揚げるのは帝劇後半から何度かありましたね。

●舞台の話じゃないけど大阪での変化
 物販コーナーでのDVD『花の紅天狗』 の売り文句に、

「これが『SHIROH』の原点(中島かずき談)」

 との言葉追加。

 嬉しい(詳しくは当ページ「SHIROHを語る(5)」をご参照)


 本日夜の間にもう1回更新予定。

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『SHIROH』を語る。(13)

1/15・1/16梅コマ遠征のため取りあえず日ネタ更新。
とりあえず1/15分(1/16は帰京後に)。

●四郎&甚兵衛
15日マチネ「私は天の御子ではない!じんじろげ~」
15日ソワレ「私は天の御子ではない!大地の子だ~」

…ソワレ、会場が爆笑で揺れました
自分も今までで一番笑いました。不意打ちすぎ。

●寿庵&小左衛門
15日マチネ「こちらの小さい笑いにこだわる方は」
15日ソワレ「こちらの人間の小さな方は」

…とうとう小左衛門を名指しで「小さい」呼ばわりに戻りました。
12月20日頃にこのパターンで、余りにやり過ぎと思ったのか
「人間の『小さそうな』方は」になってたのを思い出します(笑)

2/13追記
12月帝劇の時のメモを見返していたら、12/23マチネで、
葡萄酒飲んだ小左衛門に向かって、
寿庵が「酒臭いのよっ!」と、とどめかましてて(笑)
その後、小左衛門の前で手をひらひらさせてました
(酒の匂いを払う感じです)

ちなみに寿庵の自己紹介
15日マチネ「こんな『こつぶっこ』がとお思いでしょうね」
15日ソワレ「こんな『ちびっこ』がとお思いでしょうね」
…もう新しいの考える気はなさそうですな。

●甚兵衛&主水
15日マチネ「先生!お腹が痛いので保健室に行ってきます」
15日ソワレ「下のドラマシティーに行って乳母と神父になってきます」
 →「お前はシェークスピアには出さん!」

(当日は蜷川氏演出の「ロミオとジュリエット」大阪初日。
 梅コマの地下1階、同じビルにシアタードラマシティはあります。
 今年4月からはどちらも「梅田芸術劇場」になります。
 甚兵衛役のじゅねさんは昔、ハムレットをやったことがあることにも引っ掛けてます)

●主水とうとう客いじり
15日マチネ「押したね?私をこの緑の服の人に向かって押したね?」
 なんだ「緑の服の人」って…3列20番台中盤の人?
 びっくりしただろうなぁ。
15日ソワレ「押したね?私をこの女の人に渡そうとしたね?」

 受けよかったからこのパターンで行くなこれ。
 帝劇の「オケピ」に比べると梅コマの「無間地獄」は笑えないからなぁ。

●刑部&伊豆守
15日はドラエもんデー。
「伊豆守がいじめる~ドラエもん~」ってポケットから出てきたものは
15日マチネ「中尾彬」
15日ソワレ「トモコ夫人」

特にソワレ、伊豆守は「それだけは言ってほしくなかったぞ」と
本気モードで激怒してて刑部さんビビってました(笑)
もちろん即座に「腹切れ」でしたが。

●四郎&寿庵
「光を我らに」で、寿庵をぐいぐいと上に押し出していくアンサンブルさんたち。
何をするのかと思ったら、「四郎と寿庵のツーショット」の実現でありました。
これだけで大阪行った甲斐がありましたよ…

寿庵役の由美子さん、素に戻ってめちゃくちゃ照れてるし。
照れ隠しにアンサンブルさん叩いてるし。
(素の時に照れると、黙るか叩くのは昔からの彼女の癖です)

アンサンブルの皆さまがこっそり企画していたらしいですねー

●大根
「さんじゅあんの闇市」で作曲の岡崎さんが市でやりとりしてる小道具の大根。
(見つけにくいけど、あのシーンはバンドメンバーが何人か紛れ込んでます)
カーテンコールでいつもは杏子さんがいじってましたが、昨日ソワレでは
じゅねさんが持ってました。

そしたら由美子さんがじゅねさんをつついて貰い受け、大根とともに踊っておりました。
最後はその大根、大塚さんが客席に投げ込んだという。

今日からどうするのだろう。まぁなくても困らない小道具だけど。

●梅田コマ劇場
初めてこのホールで作品を見ますが音響がすごく良い(ドラマシティーは「花の紅天狗」の千秋楽で見たことがありますが)。3階席でも帝劇の2階に感じるぐらい舞台が近い。
声質によって伸びが違う感じで、
主水役の池田成志氏の台詞と、
リオ役の大塚ちひろさんのソプラノと、
寿庵役の高橋由美子さんのアルトは特に響く(ソワレはマチネほどではなかったけど)。
大塚さんの梅芸の予定はないけど、由美子さんは今年6月「MOZART!」が予定あり。
凄く楽しみになった次第。

●帝劇と大阪演出の相違
一番印象的だったのは、シローがリオに赦された後の歌、皆をはらいそに導く歌の歌い出しが、帝劇に比べて間を取ったこと。
いつシローが復活するのだろう、というぐらい間を取っていたのが、かえって感動した。

四郎の腕の中で寿庵が息絶えるシーン、寿庵の台詞が違って、
 帝劇「すいません、四郎様」
 梅コマ「四郎様、すいません」
になってました。これは梅コマバージョンの方が泣ける。

ソワレに至ってはあまりに感情突っ走ったせいなのか、寿庵がいつもの入りタイミングより1小節近く遅れて入ったのに、四郎も違いをどーんと受け止めてバンドも合わせる素晴らしい出来。
この作品、あまり語っていませんがアンサンブルさんのまとまりの良さとバンドの方の腕の良さは絶品です。

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『SHIROH』を語る。(12)

●拍手のないミュージカル

 この作品を最初に見たときに、一番驚いたこと。
 もちろん、1幕の幕が下りるとき、2幕の幕が下りるとき、
そしてカーテンコールで拍手が鳴り止まないのは当たり前ですが、
とにかく曲間に拍手が挟まらないのです。
 「拍手しようにも拍手する間がない」という方がむしろ正しい言い方かもしれません。

 普通、ミュージカルといえば、役者の演技と熱唱の直後に拍手、そして舞台が転換して次の場面へ・・・というのがよくあるパターンなのですが、この『SHIROH』の場合、役者の演技は熱いし、歌も絶品なのに、いわばシーン単独で「歌い上げる」パターンが少なく、ただひたすら場面の進行の中の”贅沢なご馳走”として歌が使われていきます。
 長い長いと言われるこの舞台ですが、複数回見ると長さが気にならなくなるというのも、シーンがぶつぎれでないために、滑らかに次のシーンへ導かれるというのも、要因の一つではないかと思われます。

 というか、作品の持つパワーの前にはいくらジャイアン(;見た方はおわかりかと思いますが、松平伊豆守信綱役の江守徹氏のこと)のリサイタルが間に入っても、
「細かいことにこだわってパワーが落ちるぐらいなら、行けるところまで行ってしまおう」的な開き直りが、すごく清々しいです。

 歌も演技も笑いも、出し惜しみしないところが、この作品の最大の魅力。
 それでいて、題材に容赦がなくて、それでも最後に救いを残す展開の上手さは、何だかんだ言っても、やっぱり新感線の良さだと思います。

1/15追記
 拍手が全くないというわけではなくて、十兵衛&四郎の掛け合い合戦とか、時に「しげちゃん&かっちゃん」とか、伊豆守あたりで拍手があるんですが、決まりごとの拍手ではなくて、「本当に拍手したい時にしてる」感じが嬉しい。
梅コマで見た限り、最後のシーンも暗転してすぐ拍手するのではなく(帝劇最後の方はこの時に拍手が入ることがあった)、改めて明るくなって拍手するのが嬉しい。
 観客とステージが一体になる感じって、素晴らしい。

●CD話、ちょっと追加

 携帯用MP3プレイヤーに入れて聞いてますが、飽きませんねこのCD・・・。

 普通、一般的なCDなら、「この曲は間が空くから飛ばそう」とかいう、言葉は悪いですが”捨て曲”みたいな曲があるのに、こと『SHIROH』のCDに関しては、18曲中、15曲までMP3プレイヤーに入っておりまして、さんざリピートしてます。

 ちなみに入れなかったのは以下の3曲。だいたい同じ感想かと想像。
  M3 「Dance」
  M6 「ROCK’Nイズノカミ」
  M12「板倉重昌A GoGo!」
 M12は劇場で見ると大爆笑ものなのですが、いかんせん歌だけでは。M6も舞台見てるとあのジャイアンボイスも力技の説得力で押し切られるんですが、声だけじゃ、さすがに聞く気にはなれない・・・
 M3は単に長いからカットという理由なんですが、まぁある意味、粟根さんも見てなんぼというか。

 CDで聞いて改めてすごいと思ったのはM8「まるちり~握った拳に神は宿る~」
 あっきーが最初にシャウトする曲ですが、アンサンブルの歌声も揃ってるし、リオの歌声も澄み切っていて、聖霊なのに「生命」の躍動を感じるところがいい。掛け合いもすごくきれい。

 アンサンブルといえば、M15「さらば神よ~神の王国をつくれ」の中にある「最後の審判」という歌詞がすごい迫力。あっきーが叫ぶように歌っている後ろで、こう歌ってたのかと、歌詞カードを見てようやく分かった。劇場では聞き取りにくかった部分だったのですが、今回のCD聞いて、泣く泣く。音が凄くいいから尚更迫力大。歌詞凄すぎるし、さすが今作のアンサンブル。実力派揃いのパワー全開。M15からM18までの怒涛の流れをぶつ切らないでもらえたことには深く感謝。

 前回気づかなかったところ。M10「お蜜と寿庵」、2人の掛け合い(喧嘩)をぼーっと見てるシローに四郎が突っ込みますが、このとき、「ぎゃぁー」という凄い声が聞こえてます。
 この声、誰が出しているのかなぁと思って耳をそばだててみましたが、寿庵(高橋由美子さん)と見ました。引き離されてどっちが動揺するかといえば寿庵だと思うし、ちょっぴりマンガちっくなところが残る余韻が、由美子さんぽい。(秋山さんだとするともう少し声が低いと思われます)
 次見る時にはそれで正しいか確かめてみよう。

1/15追記
 間違いなく寿庵でした。
 十字架をお蜜に取られそうになって抵抗した時ですね。
 CDに残ってるほどきれいな抵抗の仕方してません。CDは奇跡的にすごくいい叫び声です(苦笑)。

 ハイライト盤だから、舞台の場面場面がぶつ切れになっているのは前回も書きましたが、M4「我らの御霊をはらいそに」とM5「ヘイユー四郎」。続けて聞くとじゅねさんのM5の入りに爆笑を禁じえません。
 
 それと、M13「光を我らに」から、一気にM14「砂の城」になだれ込むのが無理ありすぎ。
 2幕の舞台転換が一気に始まる「幕府の犬に断罪を」が入っていないからですが、何せ一揆軍がイケイケドンドンだったのが、いきなり

あっきー泣いてますー絶望してますー何あったの?

って感じであります。

 今回のCD、多分1枚で収めるのが至上命題だったと思われるのですが、思ったより売れているようで、品薄気味のようですね。2枚組にしといたほうが良かったのでは、って今更言っても遅いか。舞台の出来以外の部分ではずいぶんもったいないことしてますね、この作品。(事前宣伝の少なさとか)
 ちなみに収録時間は71分6秒ということで、かなりぎりぎりまで使っていますね。

 ちなみにもっと余談。
 私のMP3プレイヤーのメーカー、「リオ」という名前です。
 何というか、出来過ぎ。(スペルは「Rio」)

●閑話休題。

 大阪公演もあと1桁となり、フィナーレへ向けて大爆走中といったところですが、今週末、大阪に遠征して参ります。15日昼夜、16日昼の3公演。
帝劇で10.5回も見たというのに、まだ見足りないという・・・

 千秋楽が仕事の都合で見れないのが心残りですし、大阪初日で
誕生日カーテンコール(高橋由美子さん、山本カナコさん、豊福美幸さん、江守徹氏)を見れなかったのも痛恨の極みですが(←なんつー贅沢者だ)、この作品にかける費用は全然気にならないんで、何はともあれ見納めの気持ちで行ってまいります。
 とりあえずこのブログも、『SHIROH』の大阪公演が終わるまでは、このまま『SHIROH』オンリーで突っ走ろうかと思ってます。

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『SHIROH』を語る。(11)

●シローという役
薄々感じている方もいらっしゃると思うのですが、私はシローに思い入れが薄いです。

ハイライト盤CD聞いていて尚更その念を深くしてしまうのですが、
「何でそうなるんだよぉー」を何百回言っても言い足りないぐらい。

いや、それは人物造型がそういうものだし、演じるあっきーが演じていないように見えるのは凄いし、ある意味「無邪気の先にある無防備さ」とか、「無心の先にある危険さ」とかを、十二分に表現しきってる、というのはわかる。
この作品にシローの歌声と存在が不可欠で、というのもわかる。
それ以上に、あっきーの技量がすごいというのも、重々承知している。

でも正直、感情移入できない自分がいる・・・

『神の王国をつくれ』を聞くと、いつも苦しくて悲しくて。
狂気を止められない悔しさ。
もっとも純粋だったシローが、壊れに壊れ、
3万7千の魂を一緒に持っていってしまう・・・・

元々自分自身、四郎(上川さん)・寿庵(由美子さん)派だからという点があって、
2人が贔屓さんということもあるのですが、基本的に「現実」の中でもがく「人間」らしい部分が好きなんですね。
あっきーのシローは極限まで「理想」を追求したゆえに、一番「理想」から離れた「狂気」の中で最期を迎えてしまう。どことなく「人間」っぽくないというか。

どうしても四郎のように「神はそんなことを望んでいない!」と叫びたくなってしまう。
シローと、シローが先導した群衆は、「信仰」という名の下に、ただ「現実」から逃げたような気がして仕方がなくて。
もちろん、現代からその時の”生きるか死ぬか”の状態を、客観的に見つめることが無理なことはわかってるし、それ自体が傲慢であることも十分自覚しているつもり。

でも、やっぱりどんな時でも人間は「生きたい」と思うべきだと思うし、「死に急ぐ」シローと群衆にはどうしても共感できなくて。

我ながら不思議なぐらい、この作品にハマってしまったのは、そんな自分の思いと、(よりにもよって贔屓が演じてる)四郎と寿庵が同じようなベクトルで生きている、その苦しさにあまりに自然に身を委ねてしまうからかな、と思ってる。

人間の愚かさとか集団の怖さとかを、もう一人のSHIROH、四郎のようには意識できなかった少年。
純粋すぎた故に、利用されてぼろぼろになってしまうシロー。
自らがぼろぼろになり、暴走していることさえ気づけない悲しさ。
ただ単に海へ出て行くことさえできれば、どんなにか幸せだったか。

シローの最期を見てると、
「なんで四郎と会わせたんだよ、リオ!」とか
「お蜜さん、シローに”利用してたこと”をちゃんと謝ったのかよ!」とか
柄にもなく熱くなってしまう。

どうしても共感はできないシローなのですが(でも不憫だとは思う。すごく)、
あの歌声に夢遊病者のように操られる群衆の気持ちは分からないでもない。
魅力なのか、魔力なのか、はたまた・・・
・・・なんだ、結局シローが必要なんですね(苦笑)

●帝劇で生き続けること

「死ぬより生きる方が辛いこともある。」

これは帝劇前作(2004年8月~11月上演)、『ミス・サイゴン』で最終的に自分が最も感じた結論でした(そういえば、これも10回ぐらい見ました)。

ヒロインであるベトナム女性・キムは、かつて愛したアメリカ人の軍人・クリスと再会する。ところが、クリスには妻・エレンがいることを知り、自分の子(クリスとの子)・タムをアメリカに連れて行ってもらうために、自らの命を絶ちます。

キムとエレンは女性として激しくぶつかるが、キムの自殺にショックを受け、エレンは、クリスとキムの子を育てていくことを決意し、そして幕が下ります。

このエレン役をトリプルキャストの一人として演じたのが、今回、『SHIROH』で一揆軍ただ一人の生き残りとなる、山田寿庵役の
高橋由美子さんその人(※)。

2作連続、贔屓の女優さんが「生き残って、過去を十字架にして生きていく」という役どころになっているのは、すごく悲しい。感情として同調するという意味では。
むろん、そういう役を任せてもらえること自体は、すごく嬉しい。

そういった役を続けて見ている観客の一人として、役としての「辛さ」を、正面から逃げずに受け止めたいとつくづく思う。
「生き続けること」の大切さを投げかけられることに対して、「まっとうに生きる」ことだけは心がけたい、と心から思う。

※もともと、偶然なのか必然なのか、舞台上で死ぬ役をやらない人で、新感線作品ではあれだけいっぱい人が死んだ『野獣郎見参』(再演版、2001年)でも、堤真一さん演じる野獣郎と一緒に生き残った。
中川あっきーと共演した『MOZART!』(2002年。2005年再演にも出演)でも、市村正親さん演じるモーツァルトの父親・レオポルトの死を看取り、ヴォルフガングの死も看取る。
ただ唯一、舞台上で亡くなった例外が『レ・ミゼラブル』(ファンテーヌ役、2003年/2004年)。(病死するように見えない元気さと言われていたが(笑)、ちなみに2005年の公演には出演しません)

●一揆軍が求めたもの
史実にしてもこの作品にしてもそうなのですが、「天草・島原の乱」の最終目的って何だったんだろう、と不思議に思う。

飢えが極限に達して立ち上がった、それを支えたのは信仰であり、天草四郎という存在があってこそだった、というのはよく聞く話なのですが、「勝って何をするのか」「何をもって『勝ち』とするのか」という点が、はっきり見えてこない。

今回の『SHIROH』で一揆軍の中でそれらしきものを言葉で表現しているのはシローぐらい。
「この戦いに勝って皆で海に出るんだ」
というところ。

ただ、このシローの思いと、四郎の考えと、寿庵の考えが、どうも上手くリンクしていないような気がしてならないのです。
つまり、言葉は悪いけど「呉越同舟」。目指す目的が一致していないのか、曖昧なのか、もしくは、目的がただ”勝つ”ということだけなのか。

「九州国として独立する」とか「国から出ることを許させる」とか、少し小さめの話だと「領主の松倉氏の国替えを要求する(※)」とか、「キリシタンの信仰を許させる」とか、「年貢の取立てを実態に即した形にする」とかその類の話。

※先代の有馬氏はキリシタン大名として有名で、鎖国時代でもなかったために、かなり裕福な半島であったと言われる。松倉氏は南蛮貿易の差益を見越して、水増しして石高を申告していたので、実勢以上に年貢が厳しく、天草・島原の乱の一つの要因にもなったとされる。

この国に残りたいのか、この国を出たいのか、
この国を変えたいのか、がどれなのか分からない。

周囲の状況を把握することにはそれなりに長けていた一揆軍首脳陣ですが、
何を目指し、どう実現させるのか、その為に何が必要かについて、どこまでのビジョンがあったか。
戦いに勝つには自らが相手を振り回し、自らの有利になるように事を運んでいかなければならないわけで、その狡猾さがことごとく足りなかったのだろうなと。

対象的に、幕府側の松平伊豆守の論理は明快。
何せ、「皆殺し」さえすればそれで終わり。しかも、その言葉だけで恐怖政治が出来るから、死にたくなければさっさと逃げろと。
しかも逃げるならキリシタンを棄てることになるから、信教(宗教という意味でなくて)を持たない人間なんて精神的に抜け殻だから全然怖くない、という論理。

いい言い方ではないけど、敵うわけないな、と思う次第。
支配する側される側、それがいい悪いとかいう話と別問題で。

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※ちなみにこの稿、『Flowers』(小学館発行)に連載中の『AMAKUSA 1637』からの考察です(『SHIROH』のパンフレットにも掲載されている作品)。
この作品、簡単に言うと「女子高生がタイムスリップして天草四郎になった」という凄い設定で、都合が良すぎる偶然がいっぱい起きて、奇跡を起こしまくってます。

史実をいじることが少ない『SHIROH』に比べると、どう史実を変えるかに精魂傾けてる(ある意味「天草・島原の乱を一揆軍の勝ちにするための物語」)ので、賛否両論の作品なのですが、現代からタイムスリップしてるから歴史学んでるし、軍師役の女子高生が全国一の頭脳の持ち主という設定で、先読むことに関しては抜群の技能を発揮、という設定。

ただ、戦略として秀逸だなと思うのが

 ・九州の諸大名に楔を打ち込む
  もともと九州の大名は石高が大きくて、幕府の言うことそのまま聞く譜代でない
  一揆への支持を訴えて回る

 ・家光の孫がキリシタンだったという史実を逆手に取って、最終的に担ぎ上げるつもり
  しかも幽閉先が豊前(大分)

実は2つ目の話は現在発売中の最新号で微妙な風向きになってるので、
最終的にどうなるかわからないのですが、
「戦略」として取ってみれば一つの見識かなと。

まぁ、未来を知ってる人が未来を自由に変えていいといわれれば、ある意味なんでもできるということでもあるんですけど(苦笑)。

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『SHIROH』を語る。(10)

本日はハイライト盤CD編。
CDを先に聞きたい方は聞いてからどうぞ。


帝劇で予約を受け付けていたCD、梅田コマでは公演初日(1月8日)から発売開始。
販路が新感線ということもあり、劇場売りがやっぱり先でした。

で、帝劇売店も頑張ってくれて、予約分の発送も同じく1月8日。
よって到着は1月9日。

1/27追記
 このCDは、e.oshibaiのサイトで通信販売をしております。
 こちらをご参照。

収録曲は、全46曲中、22曲(M5を2曲分、M10を4曲分としてカウント)。

---------------------
1.組曲「約束の地」-いんへるの-
2.人のツバサ
3.Dance
4.われらの御霊をはらいそに
5.ヘイユー四郎~なぜに奪われし光
6.ROCK’Nイズノカミ
7.さんじゅあんの闇市
8.まるちり-握った拳に神は宿る-
9.さんちゃご-御子は舞い落りられた-
10.海はつながっている~お蜜と寿庵~ふたりSHIROH~のりかかった船
11.城を造ろう!
12.板倉重昌A GoGo!
13.光は我らに
14.砂の城
15.さらば神よ~神の王国をつくれ
16.御子は我らと
17.四郎の懺悔
18.はらいそ
---------------------

収録曲については、一晩中語れます(笑)
時間の制限があって(180分を70分にするのは確かにかなり厳しいのでしょう)、同じメロディーをだぶらせないようにした配慮のせい(?)か、メインどころがいくつか抜けていて、不満はあります。これでDVD出さなかったら恨むよぉ。

●中川晃教さん
さすが歌の主役。12曲が収録されています。(M2、3、7~11、13~16、18)
(以下のキャストも同様ですが、1フレーズ以上歌うか台詞が入っている場合「1曲」とカウントしています。)
「まるちり」「神の王国をつくれ」が入ったのは嬉しい(当たり前だろうけど)。
「もう一度海へ」はシローの仲間とお蜜との関係が分かりやすかったから欲しかった。
「人のツバサ(リプライズ)」もその次の「幕府の犬に断罪を」につながるキーになる曲だったから、入れて欲しかった。

あと1幕最後の「天の御子を我らに」が入っていないのが、ある意味凄い。

そして「海はつながっている」の最後、「お蜜と寿庵」につなげるコメントは帝劇前半バージョン「じぇ、じぇろにも」だったのがねぇ。
あそこのアドリブは、唯一好きじゃなかった・・・
次の寿庵の台詞が意味不明になるんだもの。

●上川隆也さん
意外に歌の収録率高し。10曲収録。(M1、4、5、7、10、11、13、16~18)
「なぜに奪われし光」が良い。
四郎の苦悩を表現してる「主よ、なぜ彼なのですか」がないのが悔しい。
あの曲、上川さんの真髄なのに。
「四郎の懺悔」(M17)が入っているのは当たり前なんだけど、情景が浮かぶあの曲、しかも帝劇後半の録音というのがいい。

●高橋由美子さん
8曲収録。(M1、9、10、11、13、15、17、18)
収録率が高いのですが、彼女メインの2曲ともども未収録というのが残念。
「さんじゅあんの闇市(リプライズ)」での四郎とのデュエットがないのは悲しい。「満月よりも三日月が好きです」ってフレーズ、好きだったのに(哀)。
やっぱり長すぎたのか・・・(フルで5分近くあるし)
この場面だけでDVD買ってくれというメッセージですか、これは(苦笑)。

「幕府の犬に断罪を」も入ってない。これは秋山さんとの関係かもしれないけど、空気を切り裂くあの声、聞きたかったんだけどなー
秋山さんとの関係では「お蜜と寿庵」はあるけど、「お蜜の真実」の迫力どころが入っていないのも残念。
収録曲の中でお気に入りは、「四郎の懺悔」(M17)、「はらいそ」(M18)。
彼女単体で見ると、出演の舞台CDでは『MOZART!』(中川版)を超えられるかなと思ってたけど、インパクト的には超えなかったなぁ。

●杏子さん
6曲収録。(M1、4、5、8、13、16)
実質的な収録率は中川氏以外では一番高いかもしれない。
この方の声を聞くと、『SHIROH』って、ロックミュージカルだったんだ、と思い出す(今更なにをとお思いでしょうが)。逆にいうと他の人がロックぽくないというか。
M1「組曲「約束の地」~いんへるの~」の導入部のこの方の声、大好き。M16「御子は我らに」の絶望に向かう空気が何ともいえず凄みを感じる。
ハイライト盤ということもあり、各シーンの印象がぶつ切れになる印象が強い今回のCDですが、この曲はM15「さらば神よ~神の王国をつくれ」から直でつながっていることも、凄みの理由としてはあるのでしょう。

●秋山菜津子さん
2曲収録。(M7、10)
ソロが1曲も収録されていないという意味で、収録率すごく低い。
中川さんのところにも書いたけど、「人のツバサ(リプライズ)」がないのは辛い。お蜜が伊豆守に見捨てられて、シローの声に身を委ねるんだけど、すぐ一揆軍からもスパイと断じられるところ。次とのつながり含めて泣けたのにな。
ただ、あの辺は全部入れないと話がわけわからなくなるから、長さ制限で引っかかるでしょうね(「人のツバサ」から「お蜜の真実」までだと15分近い)。

●その他の方々
他に収録されているのは、右近健一さん(4曲)、吉野圭吾さん(2曲)、植本潤さん(3曲)、粟根まことさん(2曲)、泉見洋平さん(3曲)、大塚ちひろさん(3曲)、高田聖子さん(1曲)、池田成志さん(3曲)、江守徹氏(1曲)。
一応、歌っている人はかならず一箇所は入っているということなんだけど(高田さんは台詞だけ)、その分、収録時間の制限から前述のとおり、印象が強い曲がいくつか落ちているのが残念至極。

そしてあれだけ笑いを持っていった橋本じゅんさん、川原正嗣さんは影も形もないという。

●CD全体として
ハイライト盤と最初から銘打っていたわけなので、全曲が入らないのは分かっていたわけですが、各キャストの見せ場をそれなりに網羅しようとしたばかりに、かえって本舞台の魅力が切り取りきれていない印象を感じます。
見た人は感動できると思うけど、見たことない人にCD渡すのはちょっと冒険かな、と。

そのあたりは、本公演でいくつかの劇評に指摘された事柄、
長かった舞台をどう短く切り取るか、ってところまでは手が回らなかったことと、
どことなくリンクしているのかもしれません。

上川さんは比較的、きっちり出し切っている印象はあってさすがと思うんだけど、
中川さんでさえ、もっと圧倒的なパワーだった記憶があるし、
高橋さんも相当存在が薄い。もっと薄いのは秋山さんで、本舞台との印象の落差は驚くぐらい。
歌メインだから杏子さんの存在感が上がっている感じがする。

全体的には、本舞台慣れした立場からすると、「こんなもんじゃないよぉ」というのが正直な感想。

でも、音は綺麗だし、仕事は早いし、歌詞カードはセンスがいいし、
音源が残ったことには素直に感謝&拍手です。ありがとう!

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『SHIROH』を語る。(9)

とりあえず今回は情報編。

●演劇ぶっく
1月8日発売『演劇ぶっく』2005年2月号に『SHIROH』のレポートが。
カラー5ページ。

この雑誌の記事の作り方は前から好みで、舞台写真選択の秀逸さとか、綺麗さとか、作品のメッセージを出演者のインタビューで上手く掬い上げる力量とか、落ち着きが感じられます。

今回のインタビューは、上川隆也(益田四郎時貞役)、中川晃教(シロー)、中島かずき(原作)、岡崎司(作曲)の4名で構成。
岡崎さんのコメントが比較的、今までの他誌に出ていない内容かも。

城の宴会の様子の、一番大きい写真が、凄くいい。
バンドメンバーも映ってるし、じゅねさん(植本潤)も頑張ってるし、寿庵(高橋由美子)もこの舞台で唯一「ごきげん」となってるシーン。たぶん、盃一気飲みの直後。これが見たかったのですよ(笑)。

同誌で粟根まこと氏が連載しているコーナー「人物ウォッチング」72回。
今回の登場はその高橋由美子嬢。

粟根氏いわく、
 「呑んべい女優」
 「酔いどれ堕天使」
とは、まったく、言いえて上手い!(苦笑)
と思わず膝を叩いてしまった。

舞台好きには有名な話ではあるし、
去年のいいとものテレフォンショッキングとか、
日テレのトークつうとかで完全にオープンにしちゃったし、
去年の『真昼のビッチ』(球子役)があて書きだったし(呑んではいなかったが)。

アイドル当時に 『天使か悪魔』(1994年、アルバム『Tendelry』収録)
という歌を歌わせたプロデューサーに匹敵するぐらい、粟根さんを尊敬します(笑)。
(「小悪魔的」な魅力の人なので)

2/13追記
由美子さんのトランジスタグラマ体形の話をあえて出していたのは、
『花の紅天狗』で粟根さんが演じた別名”おっぱい星人”のせいなのだろうか(ぼそっ)

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『SHIROH』を語る。(8)

大阪初日はCDが発売されていたそうですが・・・・
帝劇予約組の方がやっぱり遅かったですねぇ。
(追記 帝劇予約分も1月8日発送)


●正々堂々

・・・・本気でネタバレです。本当にご注意。
特に大阪公演待ちの方、くれぐれもご注意です。

2幕終盤、松平伊豆守と一揆軍の和睦の場面、砂浜。
ここで、一揆軍の両巨頭、四郎とシローはそれぞれ”らしからぬ”ところを見せる。
四郎は和睦の場所で闇討ちを仕掛け、
シローは伊豆守に憎悪と敵意を剥き出しにする。

松平伊豆守はシローに向かって「思っていた感じと違うな」
と話しかけているが、
「声で人の心を操る」のであれば、もっとピュアな感情の持ち主だと思っていたのではと思われる。
(ちょっと前までは確かにそうだったのだが)。
極端な話、もっと”手ごわい”相手だと思っていたように思えてならない。

ここで四郎は「我らは侍じゃない、キリシタンだ。お前らのしきたりなど知らない」と言っているが、その直後、
寿庵が「いま伊豆守を討ったところで何も変わりはしない」と諌めている。

寿庵の四郎を諌める態度に、”軍師としての「正々堂々」にこだわる姿勢”を感じる。
キリシタンであろうがそうでなかろうが、敵が強大であればあるほど、自らの立場が”卑怯”であってはならないし、そうでなくては戦う意味がない、という思いを感じる。

四郎が十兵衛と斬り合う目の前で、伊豆守と寿庵が対峙するシーンがある。
ここで、寿庵は伊豆守の前で2・3歩後ずさりする。
最初、「軍師が後ずさりするなんて」と思った。
だがしかし、よくよく見ると印象が変わった。
大将である四郎が闇討ちという”卑怯な”手を使った手前、一揆軍の軍師として胸を張る訳にはいかないということなのだろう。
伊豆守が寿庵に対して、目で訴えているように思えてならない。

「お前らの軍はこんなに”なっちゃいねえ”のか」

それが分かったから、寿庵が退いたように見えるのだ。

戦いで勝つというのはどういったことなのか、この場面を見るたびに考える。
それは戦死者が少ないとか、司令官が死んでいるとか、そういうことではなく、
「戦いで自らの正義を貫き通せたかどうか」
なのではないかということ。

「キリシタンとしての正義を通して、死んでいった」
のならまだ救いはあるが、闇討ちで敵の大将の首を取った所で、ただの卑怯者呼ばわりされるだけであろう。
「(伊豆守を討っても)ますます状況が悪くなるばかり」と寿庵が言ったのは、
この戦いの先を見つめた話だったのだろう、と思う。

卑怯な手で敵に向かうということはすなわち自らがその程度の集団であることを敵に知らしめること。
敵を怯ませるための最大の要素は、ただものではないと思わせるだけのものがあってこそである。

それが闇討ちでは「我が軍は戦のイロハも知らない、ただの寄せ集め所帯だ」
と言っているに等しい。

敵に”大した奴らではない”と思われて死ぬことほど、情けないことはない。
いわば「無駄死に」というものである。

死に場所が分からない奴より何ぼかマシ」

2幕前半、総大将・板倉重昌死亡の場面で、松平伊豆守が語っている台詞だ。

死に場所が見つかればいいな」

と同じく松平伊豆守が語ったお蜜は、シローの腕の中で息を引き取る。

そしてシローは暴走し3万7千の魂を犠牲にするが、最後はリオ(この場面は「神の使い」かと思うが)に赦され、皆を天国へ導いていく。
四郎は神に懺悔し、自らを投げ出すことで最愛の女性である寿庵を救い、天国に向かっていく。

「死に場所」を見つけた2人のSHIROH、そして3万7千の魂が見つめているもの。(そこには、お蜜も含まれている)
その思いを、寿庵が松平伊豆守にぶつけることに、この物語の重さがあると思う。


●「信じる」こと
 幕府の黒幕・松平伊豆守信綱は、2幕中盤、スパイとして放っていたお蜜が裏切っていたことを知り、「あんたは何を信じるんだ」と問われ、「俺は何も信じない。ただ仕事をするだけだ」と答えている。

 これを見ていると、「何かを信じた人々」と「何も信じなかった人」との戦いだったのかもしれない、と思えてくる。
 結果から見ると、「信じる」ことをはじめとする「感情」はどこかで「弱さ」につながっていたように思える。お蜜がスパイだということを知った一揆軍首脳陣はお蜜を指弾する。しかし、その場にシローを呼ばない。
 「シローのことを思って」呼ばなかったことが、シローには”裏切り”に思えた。一揆軍に入る深いひび。

 それゆえなのか、「感情」抜きで「戦いに勝つ」ことだけに徹した松平伊豆守が勝利を収める。

 寿庵が、四郎に対して「そんな弱さが好きでした」と吐露する最後の場面に、「人間らしさ」と「人としての感情」を感じる。生の気持ちとも言おうものが。
 だからこそ、その気持ちに引きずられて四郎も奇跡を祈り、神もそれに応えた。

 そしてなおさら、だからこそ一人生き残った寿庵は、「人間として」「人として」見つめていくべき大切なものを語るのだと。「感情」を抜きにして勝ち残った松平伊豆守にぶつけるのだと。そう思う。

 心なしに何が政だと。
 魂なしに何が治だと。

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『SHIROH』を語る。(7)

小ネタ話ほか。

●スケールの小さな人
四郎の姉婿、渡辺小左衛門(河野まさと)の別の名。
ストーリーに直接関係なく遊びまくる。そして特に寿庵の目には邪魔者にしか映らない人。

一幕「さんじゅあんの館」の一コマ。

寿庵「お待たせいたしました」
四郎「ご無沙汰しております、寿庵殿」

この時点で四郎が寿庵の存在を認識していたということは、つまり闇市で見た時点からその女性が寿庵であることを認識していたということになるわけで。

「君、早いね」(津屋崎主水(池田成志)風の突っ込みでどうぞ)

寿庵「覚えていてくださったのですか」
   満面の笑みで応える寿庵。嬉しくて仕方がないといった趣だ。
四郎「あなたのような綺麗な方を忘れるわけがありません」
   さすがは紳士の受け答えで四郎が応える。
寿庵「本気にしますよ」
   流し目で訴える寿庵。かなり本気モードが入っている。
四郎「冗談ですよ」
「寒っ」小左衛門が突っ込む。

この四郎が答えた時の寿庵の表情の変わり具合と来たら凄い。
満面の笑みから、流し目の誘惑に突入した「恋する少女」が一瞬にしてふくれっつらである。
上川氏も台詞の返しが上手な上に、由美子さんの表情演技の上手いこと。
こう言っては失礼ですが、見ていて飽きません。

1/23追記
  このタイミング、寿庵しか見てなかったのですが、知人いわく、
  四郎もむっとした表情を小左衛門に向けていたらしい。
  初っ端で寿庵を覚えていた辺り、もしかして昔から気になる
  存在だったのかも>四郎殿

照れ隠しもあって寿庵は小左衛門をさしてこき下ろす。
寿庵「こちらの人間の小さそうな方は」
四郎「渡辺小左衛門と申します。名は体を現すといいますが」
・・・・公演途中、いくつものパターンが現れて消えたこのシーン、
小左衛門をさんざこき下ろすということだけは共通でございました。

類義語に、
「こちらの人間のスケールの小さいお方は」
「こちらのうっっとおし~お方は」
など。

なお、公演後半、南蛮絵をはがしている小左衛門に、寿庵殿は蹴り(日によって飛び蹴り(笑))を入れていました。しかも、12月22日以降は「げしっ」という効果音付き。

由美子さんの表情といえば、
2幕最初、お蜜との対決シーンで、シローを勢いづけようと可愛いポーズをしていたところに、お蜜からチャチャが入ってだんだん目が釣りあがっていくところ、
何度見ても演技に見えません。上手すぎ。

あとさりげなく好きなのが、2幕「城を造ろう」のシーン。
この時もお蜜に突っ込まれて「なにぉ~っ」って感じで反応する(長いスカートを上手く使って「お蜜に対する怒り」を表現してる)んですが、
その直後、四郎が「それでいい、数は力だ」と歌いだすと、
途端に目にハートマークというか、「恋する女の子」モードになる落差が抜群。

●一幕と二幕
 公演時間は1幕95分、2幕105分(間に25分の休憩)。

 巷間言われている話なのですが、一幕がけっこう長く感じます。「さんじゅあんの館」に至るまでの約1時間がかなり長く、そこからは怒涛の勢いで1幕を突き抜けます。

 開始当初、各所で「2幕だけなら何度でも見たい」という感想が上がっていたのですが、実際にやってみました。それも東京の楽日(12月29日)。

 ・・・・いや都合が許すなら最初から見たかったんですよ。仕事納めだから仕方なく2幕から見ただけで・・・・(哀)

 楽日はお笑い方面のキャストが遊びまくってたというせいもあったんでしょうが、腰の座りが凄まじく悪いです。前日ソワレで見ていた(12月25日から29日まで、5日連続観劇でした)1幕とつなげながら気持ちをくっつけようとするのですが、正直、気持ちが中々乗っていかない。シローが暴走するところとか、四郎が苦悩するところとか、寿庵が流れを押しとどめようとするところか、それぞれ単体ではすごくいいんだけど、なんかシーンがぶつぶつ切れるのが悔しかった(それでも最後のシーンは四郎・寿庵ともにさすがの完成度だったけど)。

 楽日はカテコが長かったし充実してたけど、芝居としての完成度は楽日数日前(特に12月26日マチネ)の方が断然良かった。

 教訓。いくら長かろうと芝居は1幕から見るべし。

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『SHIROH』を語る。(6)

ちょっと脱線してネタ編。

●有明海でダメになったの海苔だもん
 十兵衛と掛け合い漫才(←違う)した時の四郎様の返し台詞。(後半限定)
 上川氏、ひたすら真面目にアドリブ一切なし、で演じるタイプだと思ってたんですが、他の人がどんなに遊んでも上川氏というフィルターを通すとあれ不思議、元どおりって感じ。
 いくら面白くても笑えないと言うのは辛いとご拝察申し上げるわけですが、クスリともせず本筋に戻せる力量に感服しました。
 どんなシーンでも笑っちゃいけない命(めい)を負ってるのは秋山女史もですけどねー。
 途中から台詞だかアドリブだかわからなくなって、しっちゃかめっちゃになった時も、この2人がいるからだいじょうぶ(なんか違う気が)。

 四郎様のアドリブ最優秀賞は何といっても

 「やっと新感線らしくなってきたな」

 ですね(1幕、十兵衛との対決後に、キリシタン目付が出てきたシーンで使用)。
 後半から完全に定番になりました。

●武蔵小金井で午前1時を迎えるキリシタン目付(の中の人)
 公演中盤、十兵衛がネタで使ってからというもの、すっかり定番となった武蔵小金井ネタ。
 役者のプライバシーなど構っちゃいない、受ければ持っていければそれでヨシのさすが新感線テイスト。

 もいっこ十兵衛のツボはまりコメント

 「会場 2,000人おいてきぼりかい!」

 実に応用しやすいフレーズ。
 上川氏、東京楽日のカテコで中川氏に突っ込むのに使用していました。

●オケピは落ちるためにある
 帝国劇場XA~XC列は、通常オケピ(オーケストラピット)ゾーンですが、今回、『SHIROH』では生バンドがセットの裏に隠れる形式のため、使用せず。かわりに照明セットを仕込み(梅田コマ劇場も、前3列は同様に照明用)。

 1幕後半、キリシタン目付・津屋崎主水がシロー・ゼンザを鞭で打っている時、シローが勢い良く主水を押して、

 「押したね? 今僕をオケピに落とそうとしたね?」

と答えるのが基本パターン(ちなみにオカマ風に)だったのですが、

 公演中ただの1回、12月18日(土)マチネだけ、

 落ちました

 その日、2階席から観劇していましたが、周囲全員が身を乗り出してオケピを覗き込みましたとさ(笑)

 2幕でさんざ「そんなだからオケピに落ちるんじゃ」と十兵衛に言われまくっていた主水、この日のまぎれもないヒーローでした(違)。

●しげちゃん&かっちゃん
 すっかり和ませシーン担当のお二人、しげちゃんは板倉重昌(吉野圭吾)。東宝ミュージカル組のはずなのに、新感線のお笑いのツボに限りなくぴったりはまってます。今後お呼びがかかりそう。かっちゃんは松倉勝家(右近健一)。新感線組が見せ所が中途半端だった今公演では、一番おいしい所を持っていった人(橋本じゅんさんもなかなかすっ飛ばしていたけれど)

 ところで、この2人が一緒に歌うシーン、吉野氏の歌が凄く上手く聞こえる。吉野氏は東宝ミュ系では歌に関してはあまりいい話を聞かないのだけれど、それでいて、これなのだから、やっぱり「歌唱力」については東宝組と新感線組には残念ながら壁があるということですか・・・・

 そういえば、この曲に入る時の寿庵の口上が、4年前に『野獣郎見参』(これもe.oshibaiからDVD出てます)の安倍晴明の晴明塚の偉業を語るときの様子と、瓜二つだったというのは、自分だけのツボだったか・・・・

●あて書き。
 剣を持ったら見境がなくなる柳生十兵衛(橋本じゅん)
 盃一気飲みが堂に入っている山田寿庵(高橋由美子)
 
 ・・・・今作品の個人的な「あて書き」大賞はこの辺で。

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『SHIROH』を語る。(5)

ストーリー編その2。

●「花の紅天狗」との共通点
 今回の作品は新感線初のロックミュージカル、と銘打っていますが、

 演出のいのうえひでのりさんいわくの「なんちゃってミュージカル」の集大成、今作品にも相当の影響を与えていると思われるのが、再演版『花の紅天狗』(2003年、ル・テアトル銀座、シアタードラマシティ、メルパルクホールFUKUOKA。 e.oshibaiからDVD発売中)。

 ヒロイン役の赤巻紙茜に、今回『SHIROH』にも出演している高橋由美子さんが出ているので、雰囲気は元々似ているのだけれど、

 この作品、2幕最初の劇中劇「ヴォルフガングとアマデウス」(※)の中で彼女が

「音楽が神の言葉を伝えるなんて ずいぶん思い上がってるな」
と言う台詞を歌ってる。

 『SHIROH』初見後、改めてDVDを見たとき、

ヴォルフガングがシローに苦言呈してるよぉ。

とか思ったりした(苦笑)
(「音楽」と「声」でちょっと違うけど・・・・)

 シローが歯止めを失い、暴走を始めた時にいつも思い出す、この言葉。
 しかも、この言葉はシローを演じた中川さんが演じたヴォルフガングの姿で出てきていた言葉
(贋ヴォルフだが、高橋ヴォルフは中川ヴォルフそっくり(笑))。

 「神の声を持つ少年」を中心に物語を動かしながら、その危うさにどうブレーキをかけるかに、上川さん(=四郎の苦悩)と、高橋さん(=寿庵の現実主義)が、うまく組み合わさっていると思う。

 何となくだけれど、「音楽が人の心を動かす」とか「神の声が人の心を動かす」というところに、「危うさ」を感じているようなものを、この2作品の共通点から感じる。

 『SHIROH』で描きたかったのは、「神の声をもつ少年」が動かす狂気が、押しとどめようにも押しとどめられない、怖さかなと。
 四郎はその怖さを知っていたゆえに、”天の御子”として立ち上がれなかった、気がする。

 それは集団心理によるものかもしれないし、飢えゆえの、思い詰めたものかもしれないし、宗教を絡ませた信仰そのものによるものなのかもしれない。

 思っても、思う通りには未来は来ない。だからこそ、生き残った者は死んだ者の分まで、未来に対して責任を持つ必要があるんだ、というメッセージなのではないかと思ってる。

 狂気のうねりを止めようとするところに、期せずして(何となく意識してる気がする)同じ役者が絡むというのも、ちょっと興味深い。
(実際には『花の紅天狗』でのヴォルフガング役は最終的に才能を利用されて絶望していくから、シロー的な側面もあるのだけれど)

※簡単に言うと「MOZART!」(ウィーン)と「レ・ミゼラブル」(パリ)をくっつけて、「エリザベート」を間に組み込んだ感じ(いいのかそんな感じにまとめて)。
表のモーツアルト(ヴォルフガング)に高橋由美子さん
裏のモーツアルト(アマデウス)に宝塚元娘役トップの森奈みはるさんが扮している。
ほか、ロペスピエール&トート役に、池田成志さんが扮する。
ヴォルフ&トートの「タッパの差ありすぎat宝塚バージョン」は必見です。

 ちなみに、『花の紅天狗』ではその後のヴォルフガングの台詞が”深い”です。
 完全ネタバレなので、ぜひDVDで見てみて欲しいです。

  『花の紅天狗』と『SHIROH』で描きたかったものって、実は同じようなものなんではないかと。
 最後にメッセージ性を強く残したか、そうでないかの違いだけで・・・・

 今回の『SHIROH』の実現を暗に予言していた、『花の紅天狗』のパンフレット。
 高橋由美子さん&中川晃教さん&いのうえひでのりさんの対談。

 「今回の作品(花の紅天狗)で伝えたいのは、「魂」。そして「人間って面白い」ということ」

 いのうえさんが語ったこの言葉、今になって改めて響くものがあります。

1/20追記
 今、DVDを見ていたら、月影先生@木野花さんが

 「迷うことは恥ずかしくない。迷った分だけ足腰が強くなる」

 と語っていた。うん、通じるものがありますな、『SHIROH』の特に四郎に。

2/13追記
 『花の紅天狗』のパンフレットには何と上川隆也さんも載ってます。
 しかもしかも、キリシタン目付(粟根まことさん)への応援メッセージ。
 共演経験ありとはいえ、ありえん(笑)。


●ハイライト版ライブ盤CD
 1月下旬に発売予定。帝劇限定で予約受付をしていましたが、梅コマでも恐らく予約受付をするでしょう。
今回、制作に東宝と新感線が噛み合わさった初めてのパターンなので、販路自体が未定とのこと。
 ちなみに、収録日は12月21日(火)のマチネ&ソワレ。この日はカメラも入っており、DVD発売の可能性がありそう。

 1/11追記:梅田コマは1/8の初日から発売。帝劇予約者には1/8発送で、1/9以降に到着。

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『SHIROH』を語る。(4)

ストーリー編その1。

●年齢不詳いっぱい
 今回の作品は、年齢不詳のオンパレードであります。

 筆頭は、泉見洋平さん演じるゼンザ。シローの仲間の一人ですが、何せシロー演じる中川氏でさえ3~4歳実年齢(22歳)より若返っているというのに、ほとんど同い年の設定を、10歳離れた実年齢(32歳)で演じるというのだから、さすがの役者根性。

 次は、吉野圭吾さん演じる板倉重昌。享年50歳で没、という設定を史実そのまま使っているため、全然そう見えない。演じる本人の実年齢は33歳。

 女性陣では、高橋由美子さん演じる山田寿庵。年齢設定不詳ぎみの役ですが、本人の実年齢は30歳(大阪公演では31歳)なのに、2幕「お蜜と寿庵」でポーズを取る姿は22~23に見える・・・・
DVDの副音声でいじられるのが今から想像できます。『花の紅天狗』の「亀は生きている」のように。)

 上川さんだって39には見えないし、秋山さんだって38には到底見えない。

 裏のびっくりは植本潤さん演じる益田甚兵衛(益田四郎時貞の父親)。
上川さんよりも、そして娘のレシーナお福(杏子さん)よりも年下の37歳。普通で考えてありえん

 まっとうに年齢とぴったりというのは、聖霊役のリオ(大塚ちひろさん)ぐらいなのではないだろうか・・・・。

●ライバル関係
 この作品のライバル関係で、一番先に浮かぶのは寿庵とお蜜の「女の対決」。
 軍師と隠密がお互いを不審の目で見つめる2幕前半「お蜜と寿庵」の直接対決は迫力が凄まじい。大人の余裕を見せるお蜜と、子供っぽさを残しながら必死に食らいつく寿庵のぶつかり合いが絶妙なバランス。

 翻弄し続けるお蜜と、間に入る(四郎にどつかれるまで突っ込まないが)シローと寿庵の最後の三重奏は聞き応え十分。
 図ってかそうでないのか、寿庵の声がいつも少しだけ大きく終わるのが、なんか意味深で好きであります。

1/11追記:CDでは珍しく、秋山さんの声のほうが大きい。

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『SHIROH』を語る。(3)

キャスト編その2。

◆高橋由美子/山田寿庵役
 一揆軍の軍師であり、四郎を最初から最後まで愛しつづける女性。
 そして今作品、一揆軍側で最後まで生き残るただ一人のひと。
 ストーリーテラー役。

 彼女のデビュー以来、ほぼ全ての舞台作品を見ている私からしても、今回の役は迷うことなきベストの役。

 可愛らしさ、場面の読み・動きの鋭さ、感情表現の深さ、いずれも全力で良さを出し切っている感じ。
 今まで演じてきた役は、どれかに偏っていたことが多かっただけに尚更それを感じる。

 例えば、前作の『ミス・サイゴン』エレン役や『レ・ミゼラブル』ファンテーヌ役は「感情表現の深さ」に重点を置いた役、新感線初出演の『野獣郎見参』美泥役は「可愛らしさ」、新感線2度目の『花の紅天狗』茜役は「動きの鋭さ」に重点を置いた感じ。
 昨年の『真昼のビッチ』球子役は「動きの鋭さ」と「感情表現」、2002年の『MOZART!』ナンネール役は「可愛らしさ」と「感情表現」を兼ね備えた、役だったように思う。

 作品の要所要所、流れを変えたり締めたりするところに彼女の声が多く入り込んでいるのですが、元々声が通るのに加えて、叫び声の迫力が生半可でない。

 二幕後半、松平伊豆守からの和睦の提案の場で、四郎は闇討ちを仕掛ける。
この時、闇討ちを諌める寿庵の前に飛び出すお蜜。
 寿庵とお蜜とはお互いにライバル関係で、警戒しあった相手なのですが、お蜜は四郎に闇討ちを諌める言葉を吐く。その言葉を聞いた寿庵は直ちに反応する。

 「退きましょう、四郎様。ここは我らの死に場所ではない!」

 この叫びが”凄い”という言葉で表現しきれない迫力。

  四郎が闇討ちを仕掛けたことへのやるせなさ、
  ことごとく対立してきたお蜜が自分と同じことを感じていた衝撃、
  狂い始めた流れを止められる最後の機会という認識。

すべてを一言にこめたこの叫びは、この作品のハイライトシーンに挙げていいほど。

 しかもそこは「お蜜の死に場所である」、と寿庵がはっきり認識していたという、哀しすぎる現実。
最後の最後にきて心がシンクロしたことの重みをひしひしと感じます。

 歌も完全に本領発揮。
 特に一幕中盤、「さんじゅあんの館」での、四郎への愛情をこめた感情表現豊かな歌は、長く感じる一幕の中で、はっきりと作品の動きを感じさせてくれます。

 歌に関しては、デーモン小暮閣下(今作品で作詞をされています)の言葉にお応えできてよかった(笑)。
(去年10月のフジテレビ「笑っていいとも・テレフォンショッキング」で、閣下から由美子嬢に紹介していただいた際、「歌が上手いんだよ」って言っていただいたもので。あの頃、『ミス・サイゴン』では歌に苦戦していましたから・・・・)

◆秋山菜津子/お蜜役
 松平伊豆守が放った隠密。くの一。天草のシローの歌声に魅せられ、最後は一揆軍側で果てる。

 まごうことなき今作品の実質的ヒロイン。幕府のスパイだったのにも関わらず、まさに「ミイラ取りがミイラになってしまった」状態。

 史実では、天草・島原の乱で生き残った一人は山田右衛門作、幕府のスパイとして生き残ったこととされていますが、「生き残った一人」という設定だけ娘の山田寿庵に持っていって、「スパイ」という設定をこのお蜜に持ってきています。

 おかげでおいしい役となったこの役。シローとお互いに愛情関係があったかどうかは特に公演後半では抑え気味にされていた感じでしたが、それでもシローの腕の中で、洗礼を受けながら死んでいくお蜜は本当に幸せそう。

 そして「演技巧者」と、いくら言っても言い足りないぐらい素晴らしい。
 さすがは杉村春子賞受賞者であります(ちなみに中川氏が同賞を受賞した時のプレゼンテーターが前年受賞者のこのお方)

 秋山女史の存在感の余りの凄さに、キャラがかぶってしまった高田聖子さん(お蜜の妹で同じくくの一・お紅)が個人的にはかなり不憫に感じてしまった。

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『SHIROH』を語る。(2)

●キャストの魅力から作品を語る。

◆上川隆也/益田四郎時貞役
 若い頃持っていた”奇跡の力”を失って迷い、悩む役。上川氏には
そういった人間の深いところを演じてもらうと絶品の演技を見せてくれます。

 この作品で、初めて「歌った」上川氏ですが、いわば”演技歌”という感情がのった演技で、非常に滑らか。

 そして流石の剣の術。特に、二幕ほぼラストで、ライバル・柳生十兵衛に寿庵を斬り付けられ、激昂して十兵衛を一斬りにする様は壮絶の一言。
 四郎は寿庵の片思いにわざわざ気づかない振りをしているのだけれど、あの斬り筋に、今まで隠してきた愛情の深さを感じさせられた。

 二幕ラスト、死んでしまった寿庵を抱え、もう一度奇跡を起こそうとする四郎の様(さま)は、演技を通り越したとも言えるほどの名演。
 回を経るごとに深くなっていったこのシーン、帝劇最後の方ではもう涙なしでは語れないシーンになっていた。
(途中から最後の四郎の叫びにエコーがかかるようになっていたのが、もう絶品)

◆中川晃教/シロー役
 「神の声をもった少年」という設定まさにそのままの歌声で魅了してくれます。

 二幕中盤、幕府の隠密として潜入していたくの一・お蜜が

 「私はただ、あの子の歌を、もう少し聞いていたかっただけなんです」

と伊豆守に吐露する場面は、彼の歌声の魅力を感じるにぴったりの言葉。

 それだけに、お蜜を殺され、四郎やその仲間との距離を感じてしまった二幕後半からの暴走シーンは彼の(彼の役の)ピュアさともあいまって、悲愴感とやり場のない哀しみが押し寄せます。
 
 「なぜ死に急ぐの」「神はそんなことを望んではいない」
寿庵と四郎の叫びが届かない、やるせなさを体現しきっています。

 彼は役がぴったりはまると、演技している感じがしない。
ミュージカルデビュー作の「MOZART!」(ヴォルフガング・モーツアルト役)でも同じ感想を抱いたことを思い出します。

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『SHIROH』を語る。(1)

ここから数回は、東京公演は終わってしまいましたが、
個人的に大ヒットとなりました、

「SHINKANSEN☆RX ロックミュージカル『SHIROH』」のお話を
何回かに分けて書いていこうかと思います。

ちなみに、大阪公演は1月8日から18日まで、
梅田コマ劇場で行なわれます。
興味を持たれた方は是非。
私も東京から遠征いたします(笑)

関連ページ

 東宝公式
  ※1月20日前後にクローズされました。

 梅田コマ劇場HP

東京・帝国劇場公演は12月7日から29日まで行なわれました。
大阪から出発した劇団☆新感線の帝国劇場初参戦。
かつ、初の「ロックミュージカル」と銘打っての興行。
ちなみに、東京での制作は東宝です(大阪はヴィレッジ制作)。

●まずは題材をさらっとおさらい
 日本国内最後の動乱と言われた、「天草・島原の乱」(1635年~1637年)
が元敷きですが、史実を混乱しない程度にしかいじっていないので、
最後は史実のままです(=1人残して3万7千人全滅)。

 神の御子・益田四郎時貞を実体として2人に分け、

 島原側・益田四郎時貞はかつて持っていた”奇跡の力”を失い悩む。
演じるは上川隆也

 天草側・シローは「歌で人の心を操る」”天の御子”。
演じるは中川晃教(あきのり)。

 激しくキリシタンの弾圧を進める島原藩藩主松倉勝家(新感線・右近健一
の様を遠く江戸から見る、徳川幕府・松平伊豆守信綱(江守徹)。
 くすぶり続ける戦国の残り火を燃やし尽くそうと、隠密・伊賀のくの一・お蜜
秋山菜津子)と剣の使い手・柳生十兵衛(新感線・橋本じゅん)を放つ。

 追討使として放たれるは勝家と友人関係にある、三河深溝の大名、板倉重昌
吉野圭吾

 そして島原。奇跡の力を失いし四郎を、反乱軍の頭となるよう勧める、
山田寿庵(高橋由美子)。
 戸惑う四郎を後押しするいくつもの力が、四郎を立ち上がらせる。

 2人のSHIROHは出会う。しかしその先にあるものとは・・・・

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最初のごあいさつ。

一寸迷った末、ブログを始めてしまいました。

芝居好きのSEという、かなり奇妙な取り合わせの私ですが、
観劇したお芝居の感想を中心に、よしなしごとをつらつらと、
書き連ねていこうかと思います。

ちなみに、原則ネタバレです。
気になる方はご注意を。

贔屓の役者さんは、

女優さんだと 高橋由美子さん、松たか子さん、笹本玲奈さん。
男優さんだと 石井一孝さん、上川隆也さん、市村正親さん。

熱演型、激情型が大好きであります。

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