『In This House』(3)

2018.4.11(Wed.) 19:30~21:00
2018.4.15(Sun.) 16:30~19:00
東京芸術劇場シアターイースト

水曜はE列10番台後半(センターブロック)
日曜はD列10番台後半(上手側)

「In This House」(勝手に略してITH)、4回目・5回目、そして日曜日が楽公演です。

カルチケは日曜日楽公演で全部が出終わって終了という素晴らしい結果に。

物語の中での伏線が随所に張られていて、複数回見ると「あ、なるほど!」と膝を打つことしきりですが、ただ謎解きをするという意味ではもったいない、というわけで謎解きをしながら物語の魅力に改めて迫ります。ひとまず終演しましたので、ネタバレ完全解禁です。ご注意ください。




●「出会う」の意味
ここでは、blog1回目の文章を再掲します。

『大人ペア、岸祐二さん演じるヘンリーと、入絵加奈子さん演じるルイーサの「いる」家へやってくる、若手ペア、綿引さやかさん演じるアニーと、法月康平さん演じるジョニー。

2組のペアが「出会う」ことで生まれる物語を描いた作品。』

blog1回目で書いたこの文章は、ネタバレ要素を極力防ぐために、かなりぼかした表現にしました。

ネタバレが最初に分かってしまうことは、観劇する側からしてもできるだけ避けたい要素で、拙blogではネタバレを必ず明言して書くようにしています。とはいえ、ネタバレなく作品の魅力をどう伝えるかは、素敵な作品ほど悩み困るので、とてもエネルギーを必要とするのが実際のところです。

話は戻りますが、「いる」と表現したのが実は裏を返すとネタバレで、「実体はいない」のですね。

少なくともルイーサはアニーとジョニーの「時」とは時を共有していない。
ヘンリーはルイーサとの心のすれ違いを埋めるためにかつて住んでいたこの家に来たけれど、おそらくルイーサは既に亡くなっているんですね。ヘンリーとルイーサの間に生まれた娘は、病気によって亡くなり、娘が亡くなって20年後まで「ヘンリーとルイーサの間には埋める言葉が見つからなかった」とルイーサが歌っています。そして現在でも心が離れていて、ヘンリーからの言葉をことごとくかわしていくルイーサを見ると、2人は「それ以来、心通じ合う機会がなく離れてしまった」ことが感じ取れます。

だから「出会う」と表現したのも、これまた裏を返すとネタバレで、「物理的に出会っていない」のですね。大人ペアと若者ペア。

でも、そのことをネタバレで表現すると、その固定観念を前提に見てしまう。それはこの作品の初見としてはよくないと思ったので、その辺は配慮した、という次第です。

●トリアージナースは火を起こせない
4回目に拝見したときにうっかり見逃していたこの言葉が、実は大きな意味を持っていることに気づきました。ジョニーがアニーの本質を理解していたことをはっきり表現している言葉。

戦場や災害地で命の消える瞬間と向かい合い、目の前の人すべてを助けられるとは限らないことを身をもって知っているアニー。アニーはなぜそこまで厳しい環境に身をおくのか、その使命を果たすことが自分の存在意義と思うほどにトリアージナースを務めているのか、それはあえてなのか言及されていませんが、私はあえて触れていないのだと思っています。

私見として書きますが、アニーは他人を助けるという方向で他人と向かい合うことで、自分と向かい合うことと避けてきたんじゃないかと感じています。自分が助けたいと思う人は世界中を見回せばどこにでもいる。自分が他人を助ければ、自分が生きている理由を感じていられる。

ジョニーがアニーについて言った「トリアージナースは火を起こせない」の言葉は、アニーの一番弱い部分を、さりげなく言及することにジョニーの鋭さと、優しさを同時に感じたんですね。

トリアージナースは目の前に起きていることに対処はできる。どうすればいいかを的確に判断し行動すればいい。体力的に精神的に厳しい場であっても「どうすればよいか」を考えることで対応が決まる。

つまり、トリアージナースは火は消せるけど、火は起こせない

blogの第2回で書いたテーマで、「なぜあんなしっかりしたアニーという女性がジョニーのような男性に惹かれたのか」と書いたのですが、一つの可能性として「アニーは自分ができない面をジョニーに見たから」と思っています。

アニーはジョニーの告白に対して立腹しますが、心落ち着いた後にジョニーに対して「どうすれば上手く生きていけるか、やっていけるかは分かっていない」と言っていて、それは自分の未来をジョニーと作っていくにあたっての道筋を、実はアニー自身が分かっていない、のではないかと思えてきます。

アニーがジョニーに対して「フェアじゃなかった」と言っている言葉も印象的でした。

嬉しかった言葉をかけてくれた相手に対して、自分が突かれたくなかった急所を突かれたからといって、傷つける言葉をかけていいわけじゃない、ということに聡明なアニーは当然に気づいた、ということなのかと。

自分ができていなかったことを気づかせてくれた人に対して怒るのはおかしい、と。大好きなジョニーとこの後のことを考えていきたかったのに、自分から動き出さないでおいて、先にジョニーが「自分の望まない方向で動いたから」といって怒るのはおかしい、わけですね。

ルイーサがいみじくも語った言葉。
『大好きな人に「こうしちゃいけない」と思うことは辛いことよ』

ルイーサにとっては、自分が娘を身ごもったことで、愛するヘンリーが野球をやめたことへの贖罪の気持ちだったでしょうし、アニーとジョニーのすれ違いは、昔の自分たちを見るようでいたままれなかっただろうなと。
ヘンリーは薄々過去の過ちに気づいていて、ルイーサは過去の過ちを振り返ることでさらに自分の生きた意味がなくなることに怯えている。

ヘンリーが言った
『なぜ俺たちはやり続けなかったんだ』
その言葉が胸に迫ります。

人と人が関わるとき、100%同じということはありえない。
言葉を交わし、思いを交わし続ける限り、アニーとジョニーの道は重なって、本当の『家』で生きていくことができるのかなと、思わされたのでした。

壁をいくら築いてもすべての危害を防げるわけではない。最後に必要なのは、どこまで心の壁なくお互いを分かり合えているかなのかなと、感じさせられました。

●アニーのバックボーンにあるもの
この作品で明確にされていないことの一つに、アニーのバックボーンがあります。
なぜアニーはトリアージナースとして世界を飛び回るのか。
子供を作ることに対して極端なほどの抵抗感を持つのか。

いくつかの想定はできるのですが、まずもって可能性が高いのが、「アニーは幸せには生きてきていない」という点。ジョニーに優しくされ「私は優しくされる資格のある人間ではない」と呟いていることから見ても、愛されることにも幸せになることにも慣れていないことが見えてきます。

トリアージナースとして命の終わる様に常に接している彼女にとって、「幸せが長く続く」ことは信じ続けても叶うとは限らないと分かっている。だからこそジョニーと長く過ごす「家族」よりも「ただ1日ジョニーと一緒にい続けられればいい」と思っている。危険を常に肌で感じている彼女にとっては、「失う」ことを極度に怖がっている。もちろん幸せになりたいと思っているけど、幸せが続くことは自分だけではどうにもならない、だから幸せになることを望まなければ、これ以上傷つかないでいられる…千穐楽のびびちゃんを拝見して、何となくそれを感じました。

そう考えると、アニーは「幸せを失った経験のある女性」ではないか、と想像しています。
例えば、両親を事故で一気に亡くしたような、感情が空虚になった過去を持っているように感じるんですね。そしてそんな「幸せを感じていない」過去をもつ女性って、私がびびちゃんを見始めてからは一度も拝見したことがなくて。何となくですが、自身の過去にないものを求められたからこそ、今回、ここまで試行錯誤され、仕上げるまでに数多の苦心があったのではと想像しています。

しかるに、千穐楽のびびちゃんアニーは間違いなく公演中最高で、アニーの感情を余すことなく伝えようとする使命感に溢れていて。はっきりと力強くなった相手役の法月くんジョニーとの真剣な感情のぶつかり合いも凄くて。公演前半では岸さん・入絵さんの大人ペアが強いきらいも感じましたが、この日は若手ペアの進境著しくて、若手ペアのエネルギーに大人ペアの思いも動かされたように感じて素晴らしかったです。

●タイトルの「最後の夜、最初の朝」について

2人の気持ちが通じあっていない夜は、今日が最後
2人の気持ちが通じあった朝は、今日が最初

それこそが、4人が出会ったことで見つけた、心の宝物だったのかと思います。
その心が客席に伝わってきたからこそ、暖かいものが客席に残ったのだと感じました。

●千穐楽の景色
4日に初日を迎えたこの公演、15日が千穐楽。18公演あったこの作品ですが、正直、集客面では苦戦した面が多く、学生向け無料チケット”カルチケ”も回によっては用意しても全く出ない(引き取り手がいない)公演もあったように聞いています。

ところが千穐楽は客席ほぼびっしり。客席からの「千穐楽を見届ける」空気の真剣さが伝わる中、舞台上でもまさにその期待に応える以上の風景が繰り広げられ。何度も繰り返されたカーテンコールの後半ではびびちゃんがうるっとくる中、会場中のスタオベと一緒に拍手を贈ることができたのが何より幸せでした。

定位置が上手側端だったびびちゃんを、カーテンコール後半でセンター方向に寄せてくれた岸さんに深く感謝。

音源化や再演、願っています。

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『LIVE SPINNER』

2018.4.14(Sat.) 13:00~15:00
渋谷JZ Brat

岡村さやかさん&上野聖太さんジョイントライブ、3回公演の1回目に行ってきました。

この日の昼と夜が渋谷JZ Brat(渋谷セルリアンタワー2階)、翌日昼が六本木Clapsでしたが、日程の都合上、この回のみ拝見しました。

この回は前半がディズニー、後半が『ダディ・ロング・レッグス』特集ということで、一度でも拝見できて良かったです。この日の夜がディズニー&『ジェーン・エア』特集、翌日昼が『ダディ・ロング・レッグス』&『ジェーン・エア』特集のため、ひとまず一度見られれば最小限は聞けたということになります。

2人の共演はかつては最多共演同士だったとのことですが、実は久しぶりとのこと。
上野さんと久しぶりなことへの、岡村さんからの感想がこの日一番の出色なツッコミで、

陽気さが増しましたよね(会場内爆笑)」

…流れ作っちゃいました、さやかさん(笑)

関係性としてはレミ2007年で一緒になって以来とのことですが、ちょくちょく出るさやかさんの黒い系(笑)のコメントに「上から目線ですねぇ」と返す聖太氏が流石です。

立場的にも聖太氏が先輩にあたるために、さやかさんも安心して頼れるようで、いつも以上に伸び伸びなさやかさん。聖太氏と言えばRiRiKAさんとされた時もこんな風に立ち回る感じ、と個人的に納得(爆)。

ディズニーパートの選曲では「どうしても客席から練り歩いて登場したい」のさやかさんオーダーでM1。
このお店に行かれたことがある方ならわかると思いますが、入口から客席に一部段差があるので、特別感がある演出でした。M3はシンデレラ実写版からのさやかさんセレクト。「強さを真っ直ぐに伝えるヒロインが魅力的」と仰っていました。第1部最後のアナ雪はAnotherさやかさんで噴きましたが、一番面白かったのは最後のパートで、

さやかアナ「おかしなこと言っていい?」
聖太ハンス「そういうの大好きだ」
・・・・
聖太ハンス「この曲が1幕最後の曲だったんだ」
さやかアナ「知ってた」

が最強でした(笑)

●Act.1 Disneyコーナー
1.Be Our Guest/美女と野獣(2人)
2.Go the Distance/ヘラクレス(上野)
3.Strong/シンデレラ(岡村)
4.So close/魔法にかけられて(上野)
5.Color of the wind/ポカホンタス(岡村)
6.You're the music in me
 /ハイスクール・ミュージカル2(岡村・上野)
7.とびら開けて/アナと雪の女王(岡村・上野)

●Act.2
 ~ミュージカル「ダディ・ロング・レッグス」の世界
8.ミスター女の子嫌い(岡村)
9.年寄り(上野)
10.知らなかったこと(岡村)
11.いつ会おう?(上野)
12.あなたの目の色(岡村)
13.ショーウィンドウの女の子(上野)
14.やな奴(リプライズ)~いつも(岡村・上野)
15.幸せの秘密(岡村・上野)

●アンコール
Enc1.A Whole New World/アラジン(岡村・上野)

そして第2部は、『ダディ・ロング・レッグス』特集。
もともと今回の企画は去年、銀座の親の顔ライブでの作曲家・ポールゴードン特集で2人が久しぶりに共演したことから出発しているということで、第2部の構成はさやかさんが担当。

手紙を使った会話&音楽での構成が素敵で、舞台を見たことのない方にもわかりやすい構成。
聖太氏が最近は某テーマパークに出演されているということもあり、いつも舞台をご覧になっていない方が客席に多かったようで、舞台好き派からするとかなり丁寧な説明になっていましたが、客層からしてちょうど良かったのかと思います。

さやかさんのジルーシャは新人公演でやって欲しいぐらい好きな役ですが、本役の坂本真綾さん同様、「女の子としての本音が厭らしく聞こえない」ところに知性を感じて好きなんです。大層怒っているシーンでも、怒るプロセスが理路整然としていて、感情に依らないところに共通点を感じます。

今回は新バージョンにするか迷われたそうですが、結果は前回までの初演バージョン。初演バージョンが好きだったので嬉しかったなぁ。「卒業式」がなかったのだけが寂しかったですが。

さやかさんジルーシャと聖太さんダディを聞いていて思いましたが、2人の距離感の絶妙さ。
依存しすぎずお互いを必要とする感じが近すぎも遠すぎもしないこと。女優さんにとって相性が良い俳優さんを見出すこと、その逆もとても大切なことだと感じていますので、また2人で共演する機会が実現することを期待しています。

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『In This House』(2)

2018.4.7(Sat.) 17:30~19:00
2018.4.8(Sun.) 16:30~18:50
東京芸術劇場シアターイースト
土曜はB列10番台後半(センターブロック)
日曜はB列1桁番台(下手側)

「In This House」(勝手に略してITH)、2回目・3回目です。

回数を見て見えてきたものもあり、分からなくなるところもあり、作品の奥深さに酔いしれる日々です。

何というか、ついつい「物語を理解しよう」という視点で観劇する癖が付いていると、「あぁなるほど!」と思う、謎的要素があったりするわけですが、「何かわからないけど良かったなぁ」と思う観劇もいいんじゃないか、そう思える作品です。

といいつつも、やっぱり物語の整理はしておきたいわけで、そして今回はプレイビル的なペーパーはあるものの、パンフレットがないので、恐らく映像化もないわけですから記憶にしか残らない、ということで今時点の感想や気づいたところを、今回は書き留めておきたいと思う次第です。

というわけで、もちろん今回もネタバレです。
前回以上にかなり危ないネタバレまで行きますので、ご注意ください!

前回紹介した「カルチケ」(実質は学生無料チケットですが、正しくは「耕すチケット」という意味の「カルチベイト・チケット」の略です。作品を応援する方がした積み立てで、若い方に作品を見てもらおうという企画)も、毎回、用意された枚数が全部は出ていないようです(今のところ1回10枚)ので、興味を持たれた学生の方はぜひご覧になっていただきたいです。そして学生ではない方も、ぜひ見ていただきたい作品です。




では、ネタバレパートスタートです。

よろしいですね?




●「時の共有」
この物語の最大のポイントは、登場する4人の時が、実は重なっていないところ。

ヘンリーとルイーサの大人ペアと、ジョニーとアニーの若手ペア、この2組×2人がヘンリーとルイーサの旧宅で出会うことでこの物語は始まっていますが、実は大人ペアは若手ペアと同じ時代に生きていないんですね。

日曜日のトークショーで演出の板垣さんが仰っていましたが、ご覧になった方も意外に気づいていないのだとか。確かに劇中では、岸さん演じるヘンリーが言う「俺たちが埋葬された墓が崩れかけた場所にある」というところが一番明確です。

ここ、「生前墓かなと思った」とびびちゃん(綿引さん)が仰っていて、確かに今のご時世からするとそれもあり得るなと思いつつ、もう2つほどポイントがあって、ヘンリーの活躍していた野球チームが20世紀初頭のチームだったり、「AP通信」をルイーサが知らなかったり(ただしAP通信自体は19世紀に出来ていますので、少し時系列がおかしいです)、自家製醸造酒(通称「ウィスキーみたいなもの」)は禁酒法(20世紀前半)当時の名残というのが公式さんの豆知識に書かれていますね。

若手ペアからすれば大人ペアは要するに幽霊、なんですが、大人ペアの間にも「時」の分離があるように見えます。過去は夫婦だったヘンリーとルイーサは、自分の想像ですがルイーサの方が先に亡くなり、ヘンリーが年を重ねた後亡くなって、過去のすれ違いをヘンリーが埋めたくて、旧家にやってきている、ように見えます。

若手ペアのすれ違いを通して、ヘンリーがルイーサとの過去のすれ違いを埋めようとしている様はとてもいじらしくて岸さんとってもチャーミングです。

●カップが4つでなくて3つな理由
4人が出会った夜に、アニーが持ってきていたインスタントコーヒーで乾杯するシーン。ここにカップが4つなくて3つしかない理由が涙を誘います。つまり、ヘンリーとルイーサとその娘さん、この家には3人しか人がいたことがないんですね。だから4つ目のカップがない。

でも悲しいのはその先のルイーサの独白。「4つ目のカップを出したかったがなかった。それを皆が気づかないのでそのままにしていた。それは自分の存在が気づかれていないかのようだった」というところの入絵さんの淋しそうな表情にいつも強く惹きつけられます。

ルイーサは後述しますが、自分の人生が何か意味があるものだったのかを確認できなかったかのように見えて、だからこそこの独白と、そのルイーサの様をよそに3人が楽しそうに振る舞う様とのコントラストに胸が痛いです。

●大晦日は記念日
この4人の共通点と言えば大晦日。もちろん2ペアが出会ったのが大晦日の夜だったことは前提ですが、大人ペアにとっては2人の心が離れたきっかけの日。ヘンリーが酒に酔い家に帰らず、娘が高熱を出してルイーサが一晩中看病し、翌朝ヘンリーが医者を探しに走ったが間に合わず、一週間後に2人は娘を失った…

ルイーサの思い込みの中では、ヘンリーの雄姿を奪ってまで(*)自分のために得たかすがいだっただけに、娘を失ったことは自分の生きてきた意味も失ったのではと思えてなりませんでした。

(*)ヘンリーはマイナーリーグで野球をやっていたが、ルイーサが子供ができたと告げたことで街に帰ってきたため、ルイーサは自分の言ったことで彼の夢を奪ってしまった、と思い込んでいる

片や若手ペアはといえば、2人が出会った名実ともに記念日。アニーが速度違反でジョニーに捕まったのが2年前の大晦日。だからこそジョニーはこの日に「自分が信じる最高のプラン」でアニーに告白しようとしたのですね。その後来るすれ違いを想像もせずに。

●保守と革新
この物語では大人ペアと若手ペアという組み方で分けるのが一般的ですが、実のところ、保守ペアと革新ペアという分け方も可能かと。保守ペアはルイーサとジョニー。ルイーサは敬虔なクリスチャンで「伝統」を重んじる女性。ジョニーは「伝統的な家族」にこだわりをもつ男性。

翻ってヘンリーとアニーは革新ペア。ヘンリーはルイーサの伝統にこだわる姿勢に辟易している以外の面を見せてはいませんが、アニーは「家族」という概念に極端なほどの抵抗感を持つあたり、かなり革新的。ユダヤ系だからといって家族を軽視するわけではないと思いますが(作品は違いますが『屋根の上のヴァイオリン弾き』ではむしろユダヤ人だからこそ家族の結びつきを重視する描かれ方)、考え方はルイーサとアニーは全く合わないんですよね。実際にはかなり派手に議論を吹っかけようとしてますからね、アニー。

●アニーとジョニーの通じ合うところ
この物語の最大の不思議と言えば、なぜあれだけ自立したアニーという女性が、ジョニーのことを思い、好きなのか(爆)。この日のトークショーで法月氏が愚痴っていたのですが、「(ファンの方から)お手紙をいただくんですが、(女性の)みなさん全員アニーの味方なんですよね(苦笑)」という(爆)。

アニーを演じたびびちゃん(綿引さん)もそれに答えて、「自分自身の年齢とも近くて、結婚や人生に対して感じる迷いといったことについて、同世代の女性の皆さんの中にも通じるところが多くあると思いますし、自分もそれを感じながらやっている」と仰られていました。

劇中では「あなたと一緒になりたい、あなたの奥さんになりたいという思いも一面としてある」と言いながらも、結婚に対しての外堀を埋められたからなのか、当たり前のように子供を求められたからなのか、「フェアじゃなかったことについて謝る」と言いはしつつも、「どこが問題だったのか」は明言されていない印象です。

アニーがトリアージナースだったことが、ここのストーリーに大きくかかわるという話もあったはずですが、そこの話が少し飛躍しているように感じます。戦場や非常事態の場に多く接し、命に対する儚さを知っているだけに、軽々しく命を生み出す行為に「ただあなたが子供を作りたいという理由だけでは応じられない」という理論構成なのかなと、今のところ想像していますが。

ジョニーは自ら言っていることとして、出来のいい兄たちに比べて、家族では立場がないと。だからこそ家族を作ることで両親に対して胸を張りたい、それをしなきゃという焦りからこそ、アニーの同意も取らずに突っ走ったのかと思いますが、アニーのどの逆鱗に触れたのか、そこが少し丁寧ではない描かれ方に思えます。

アニーはジョニーの文才を世に出したくて本人に無断でAP通信や出版社に売り込んだりしているのですが、アニーにとってはジョニーが「家族という制約の中で自分の可能性を狭めている」ことに対して、ジョニーらしい良さを出して、今まで育ってきた家族の枠内ではなく生きていこうとして欲しがっているわけですよね。

両親に評価してもらいたい、じゃなくて自分がこう生きていきたいから、そこに一緒にいるのはアニーでいてほしいと。

もう一面として、自立した女性であるアニーにとって、自分が今までやってきたこととの整合性もあるのかなと。今まで命を削ってきたことが意味があったことと思うためには、ジョニーと生きる未来が、それ以上に意味があるものでなくては、自分が一歩踏み出す意味がなくて、だからこそ「ただ家族になる」「ただ子供を産む」だけでは、アニーが変わるきっかけとしては弱かったのかなと。

ただ、それはアニーの立場の思いでしかなかったことが「フェアじゃなかった」なのかなと、そう感じました。
(自分の思いだけ押し付けて、ジョニーの思いを無視したことが)

トークショーでは板垣さんが「アニーのあの(機関銃のような)指摘を理解できるのは男性でも200人に1人いるかいないかじゃないかと思う。自分は無理(笑)」と仰って会場の笑いを誘っていましたが、理解しても寄り添える人はさらにその200分の1じゃないかと思います(苦笑)。

その話を聞いていてふと思ったのですが、舞台観劇客に男性が少ないのはなんでかという話が繰り返し色々なところで議論されてきていると思うのですが、舞台の世界で更に現実と向き合うのは辛いからじゃないか、とふと思った次第です(爆)。

・・・

日曜日終演後は約20分のトークショー。

若手ペアからは「今この作品に出逢えてよかった」との感想が法くん、びびちゃん双方から。
法くんからは「ど素人から素人になれたかなと思うぐらい」
びびちゃんからは「ここまで身を削ってやった芝居もいままでなかったというぐらい」

びびちゃんから「板垣先生にここまで丁寧に教えていただいて」と言ったが早いか、板垣先生から「授業料は後ほど」って言われてました(笑)

法くんが天然で突っ走り、びびちゃんが優等生的にフォロー、加奈子さんの光速のツッコミが随所に差し込まれ、岸さんが上手くまとめるという感じ(笑)。が、板垣さんもツッコミ激しいですからね。

加奈子さん曰くの「始まったら終わっちゃうから始まらないで欲しかった」という言葉が印象的。

また板垣さんからプロデューサーの宋さんの話として「この作品の規模なら1週間で終わるものだけど、『良かった』という頃には終わっちゃうのは淋しい、だからどうしても2週間やりたい」という思いでこの日程になったとのこと。

その話を聞いて思いましたが、宋さんの熱さも、板垣さんの熱さも、そしてキャスト皆さんの熱さも、演奏の皆さんの熱さも、それぞれ違う熱さなんですよね。良い舞台を作りたいという思いが伝わってくる素敵な作品が、あと1週間、更に多くの皆さまの心に届くよう、願っています。

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『In This House』(1)

2018.4.4(Wed.) 19:30~21:00
東京芸術劇場シアターイースト
D列2桁番台(センターブロック)

先月の『A Class Act』から1週間、東京芸術劇場の地下反対側、今度はシアターイーストに通います(爆)。この日が初日です。

大人ペア、岸祐二さん演じるヘンリーと、入絵加奈子さん演じるルイーサの「いる」家へやってくる、若手ペア、綿引さやかさん演じるアニーと、法月康平さん演じるジョニー。

2組のペアが「出会う」ことで生まれる物語を描いた作品。サブタイトルに”最後の夜、最初の朝”というタイトルが付けられています。

(上述の「 」を付けた言葉には意味があります)

ネタバレ要素を含んだ作品ではありつつも、ネタバレがあっても楽しめる作品ではあります。
とはいえ当blogのポリシー上、ネタバレときちんと宣言して書き始めますので、ネタバレ回避の方は回れ右お願いします。



大人ペアがかつて住んでいた片田舎の家にいる大晦日に、車が故障して立ち往生した若手ペアが助けを求めたところから物語が始まります。夫婦なのにどことなくぎくしゃくしている大人ペア、カップルなのにことごとく噛み合わない若手ペア。

2組のペアが、自分たちではどうにもできなかった溝を、それぞれのペアの存在が埋めていく様が素敵な物語。

優しさに溢れ、でも後悔に満ちた岸さんのヘンリー。
利発さに溢れ、でも不信に満ちた入絵さんのルイーサ。
使命感に溢れ、でも不安に満ちた綿引さんのアニー。
素直さに溢れ、でも焦燥に満ちた法月さんのジョニー。

若手ペアだけ見ると、どことなく『Before After』のエイミー&ベンの雰囲気も思わせる、「言葉が過ぎる女性」と「言葉が足りない男性」の組み合わせ(爆)。

世界中を飛び回る野戦病院の救急看護師(トリアージナース)であるアニーは、ジョニーが望む「家庭」に入ることを良しとせず、ジョニーとの間で口論になってしまう。そんな若手ペアを女性の面から見守りサポートするルイーサと、男性の面から見守りサポートするヘンリー。ヘンリーとルイーサも実のところ仲睦まじい夫婦に最初は見えつつも、実のところ一つの出来事をもとに心に壁ができてしまっていた…。

若手ペアに対して、無理に結論を強いることはしないながらも、人生の先輩として、自らが自らの中に後悔を持っているからこそ、ジョニーに優しく接するヘンリー。片や実のところ人生のポリシー的には合わない面がありつつも、同じく自らが自らの中に後悔を持っているからこそ、アニーを支えようとするルイーサ。

大人ペアは「変えられない過去」を多く持っていて、若手ペアは「未来を決められない」思いを思っている、そう見えました。

大人は過去を否定しては生きられない生き物のように思えますが(特に男性は)、若者は決断することで自分の可能性を狭めてしまうのではないか、と焦っているように見えて。特にトリアージナースであるアニーは、とりわけ皆を助けることを自身の生きる意味に思っているように思えて、自分自身が率直に幸せを求めることに躊躇いを求める女性のように思えました。そんなアニーが、ルイーサと出会ったときに感じたこと…女性の幸せを求めたのに手に入れきれなかったルイーサの思いを感じたときに、どう感じたか。

対してジョニーはアニーを愛していると直接伝えたものの、アニーに気持ちを伝えられなかったばかりか、彼女の逆鱗に触れてしまい、途方に暮れてしまう…が、ヘンリーが抱えている後悔が、自分の思いや行動がアニーの気持ちに寄り添っていない、一方的なものであったことを気づかせ、アニーに対してどう誠実に対するべきかを考えていく…。

そして大人ペアも「変えられない過去」と対峙する勇気を若手ペアからもらい、縮めることができないとお互い思い込んでいた距離を縮めていく。

「家」を持っているはずの大人ペアは、本当の意味で「家」を作れていなくて。「家」を持とうとしている若手ペアは、本当の意味の「家」の意味を分かることができていなくて。

岸さん演じるヘンリーが伝える「家とはただそのもの」なのではなく、「心」あってのもの。
それを、大人ペアも若手ペアのお陰で知ることができ、若手ペアも大人ペアのお陰で理解することができた。

人は一人で完璧に出来上がっているわけでなく、人と人との関わりをもってして生き方を作っていく。
「house」とは「家」というだけでなく「場」という意味にも感じられて、とても印象深い作品でした。

ヘンリーの岸さん、名実ともに大黒柱。真実を伝えないことを優しさと考えていた様を、変えた勇気に感動。
ルイーサの入絵さん、若き大人の女性。ヘンリーと心通じ合った時のチャーミングさが素敵でした。
アニーの綿引さん、自立した寂しがり屋さん。笑顔でいることで隠し続けていた本心、それを明かすことは決して弱いことではない、そう感じた時の覚悟の表情はとりわけ素敵でした。
ジョニーの法月さん、素直な好青年。作品と役と演出家の板垣さんからの溢れる千本ノックを受けきったであろう感受性が演技に出ていて好印象でした。吸収力の強いスポンジという点では法くんとびびちゃん、とっても似ていると思います。

東京芸術劇場シアターイーストで15日まで。

今回の公演は主催のConceptさんが様々な試みをされていますが、一番素敵な試みだと思ったのが『カルチケ』です。この『カルチケ』とは要約すると”学生無料チケット”のことで、学生さんは学生証持参で無料で観劇可能なシステム(毎公演枚数限定、先着順)。これは、公演前のSNSの「いいね」やRTを蓄積して、100カウントで学生1人無料のシステム。また会場でも500円以上でのカルチケ基金(基金箱があります)があり、チケット代が溜まるとカルチケの枚数に上乗せされる仕組みです。

舞台を観劇していると、自分なんかが言うのも変な話ですが、どうしても見ている層というのは固定化しがちな演劇の世界。そんな中、良質な芝居を肌で感じてもらって、「こういう世界もあるんだ」と知ってもらうことはとても素敵な試みだと思います。

とりわけ今作は、演じる側はもちろんだと思いますが、見る側にも覚悟が求められる作品。それは強迫観念みたいな強いものでは全然なくて、否が応でも自分に置き換えて考えたくなるような物語ということもあって。
U25が普及してきたとはいえ、まだまだ元が高いだけになかなか客層が広がらない中、「日常では味わえない世界」を感じる機会が、この試みを通じて増えることを願っています。

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『親の顔が見てみたいVol.33』

2018.4.1(Sun.) 13:00~15:05
シャンソンバー・銀座ボンボン

”ミュージカルの親”、作曲家にスポットを当てた「親の顔が見てみたい」シリーズ。
今回はシルヴェスタ・リーヴァイさんがテーマ。

出演はリーヴァイ作品に2作品出演されている池谷祐子さん(『MOZART!』『レディ・ベス』)。
お相手は本井亜弥さん。本井さんはリーヴァイ作品の出演経験はないとのことで、今回はがっつり新曲を歌い込まれたとの由。

このシリーズ第4回(6年前)でも同じくシルヴェスタ・リーヴァイを採り上げられたとのことで、その時は池谷さん&岡村さやかさんのペア。今回はさやかさんのスケジュールの都合ということもあり、この日のペアは池谷さん&本井さん。演奏はおなじみ酒井和子さんです。

先週金曜日の岡村さやかさんラジオ(所属事務所/ドルチェスター持ちのラジオ枠のその時限りのパーソナリティ)には池谷さんがゲスト出演(木場のスタジオにて公開生放送)されていたのを拝見していますので、池谷さんとはわずか2日ぶりということになります。

ラジオ出演の時はやんさんがさやかさんに仰ったことがとても素敵で。
『演技は人柄と言うけれど、今回『A Class Act』で初めて共演してさやかの人となりに惚れ直した。人柄の素晴らしさを演技を通して感じられて胸が熱くなった』言葉を受けてさやかさんが感動されていた姿を拝見できて、感動したのでした。

それでは、この日のセットリストへ。

○第1部
1.私だけに/エリザベート(池谷シシィ)
2.夜のボート/エリザベート
       (池谷フランツ・本井シシィ)
3.レベッカ1/レベッカ(本井ダンヴァース)
4.流れ星のかなた/MA
       (池谷アニエス・本井マルグリット)
5.100万のキャンドル/MA(本井マルグリット)
6.我が父は王/レディ・ベス(池谷ベス)

○第2部
7.(シャンソン)永遠の絆(珠木)
8.On My Own(池谷&本井エポニーヌ)
9.On My Own~津軽弁Ver~(福浦)

[M10~:たっぷりミュージカル『Mozart!』]
10.奇跡の子(池谷・本井)
11.赤いコート(池谷ヴォルフ・本井ナンネール)
12.僕こそミュージック(池谷ヴォルフ)
13.星から降る金
      (本井ヴァルトシュテッテン男爵夫人)
14.プリンスは出ていった(本井ナンネール)
15.ダンスはやめられない(池谷コンスタンツェ)
16.音楽の泉(池谷・本井)

[Encore]
En1.影を逃れて(池谷・本井)

第1部はMC全部入りでしたが、その理由が池谷さん曰く「第2部は始まったら一気に駆け抜けるので」ということで、リーヴァイ作品経験者の池谷さんと、リーヴァイ作品非経験者(観劇はされている)本井さんとのトーク。

池谷さんのMCで言及されていた「アメリカ(ブロードウェイ)ミュージカルともイギリス(ウェストエンド)ミュージカルと違うメロディー」というのは実際、観劇側からも感じることですが、印象的だった言及が、「今までのリーヴァイ作品は演出家が皆さん日本人」という話。

そうなんですよね。リーヴァイ作品日本初登場の『エリザベート』から小池先生が『MOZART』、『レディ・ベス』もされていて、『レベッカ』は山田さん、『MA』初演は栗山さんですから。
華やかすぎもせず、地味すぎもしない、でもなんだか心に引っかかる部分があるというのは、リーヴァイ作品の曲と、日本人演出家とのペアだからこそというのもあるのかと。

ちなみに、今回の『MA』は外国人演出家さんが演出されるとのことで、どんな感じになるか楽しみとやんさん。

今回、リーヴァイ作品の曲を初めて歌う本井さんのMCで、「譜面と向き合ってみたら、音源とちょっと違っている人もいたりして、例えば1番と2番のコード進行が違う曲で、同じように歌っている方もいらして。作曲家さんがどう思っているか知りたい」と仰っていたのが興味深かったです。何となくどなたのことか想像が付いてくるのですが(該当者が少ない爆)、その話を受けてやんさん、「譜面を読めるのは強いと思う。譜面で曲と向き合えると、どのように作品を作ろうとしているのかが譜面を通して伝わってくるので、作品と対話ができるようになる」と仰っていたのが印象に残りました。

第1部はどれも素敵でしたが、まずもって最初が『私だけに』ですからね。やんさん歌い終わって「帰ろうかな」(笑)ってぐらいの大曲を堂々と。本井さんも「最初に持ってくる曲じゃないですよね(笑)」と。

どの曲も素敵な中、一番感動したのがM4「流れ星のかなた」。アニエスパートをやんさんが温かく優しく歌い上げ、心に傷しかないマルグリットの思いを本井さんが歌う、元々大好きな曲に持ってきてこのお2人ですから、本当に素晴らしかったです。galaribbonの3人だとやっぱり核はやんさんなんだなぁ、と改めて感じます。この曲、今年の再演では恐らくないわけですよねぇ…(アニエス役がプリンシパルとして配役されていない)

第2部ではボンボン代表取締役福浦氏が「言い出したら瓢箪から駒でやることになった」という『On My Own』の津軽弁verが新鮮。この話されたら、やんさん&本井さんが本バージョンを歌って話を理解いただいてから…という話になったそうなんですが(笑)、びっくりするぐらいに嵌ってて驚き。津軽弁って純朴で素朴じゃないですか。気持ちに素直な部分がこの曲にぴったりな気がして、とっても素敵なサプライズでした。

第2部冒頭の珠木さんのシャンソンでもそう感じましたが、「歌は心」ってことを感じられる時間ってとても素敵だなぁと思います。このキャパだからこそでもありますよね。

第2部そこからは『MOZART!』を濃縮バージョンでお送りした一気出し。自分自身、『MOZART!』がミュージカルリピートのきっかけの作品で、2002年から見続けているだけに感慨深かったです。

某曲の曲紹介のときに本井さん、「今日は2人で歌ってますけど、本番は死ぬほどいっぱい人が出てきて歌ってます」の紹介が本井さん的天然爆発で噴きました(笑)。

『MOZART!』1幕が意外に長かったと思ったら、2幕を1曲+アンコール1曲で切り上げる冒険心に満ちた(爆)展開にびっくり。確かに晩年に恵まれなかったことを考えると、後半を勢いよく切ったのもなるほどわかる気がしました。

全編通じて、見たこと聞いたことがない曲が1曲しかない(『レディ・ベス』のみ未見)。
そういうこともあって、そしてやんさん&本井さんのデュエットということで、安心して堪能しました。
次回はぜひ、さやかさんもお呼びして3人で、この空間で聞いてみたいです。

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『東京ミュージカルフェスタ2018』

2018.3.25(Sun.) 18:30~20:50
東京建物八重洲ホール

一昨年からイベントが始まった『東京ミュージカルフェスタ』。今年が3年目です。
俳優の角川裕明さんが発起人で、おけぴの代表さんとお知り合いだった縁で立ち上げられ、「3月26日をミュージカルの日に」と勝手に(角川さん談)設定して始まったイベントの一環のトークショーに行ってきました。

このイベントは発売即完売で、私は福岡遠征の飛行機の機上で、ANAは無料Wifiがまだなかった(4月から開始)ので参戦できず、飛行機を降りたら既に完売…だったわけですが、この日、ご縁をいただき急遽行ってきました。無茶苦茶内容の濃いイベントで、譲っていただいた方に感謝です。

会冒頭、角川さんから趣旨説明があった後、進行はライターの松島まり乃さんにバトンタッチ。All Aboutでコラムを書かれている方ですね。初めて拝見しましたが、巧みな進行・構成は流石でした。

この日は、前半部が『In This House』、中盤部が『お月さまへようこそ』、後半部が2チーム混成のトークショーという展開でしたが、前半で盛り上がりまくって時間が伸び、中盤で少し抑えたものの、後半で再び深く熱く盛り上がった結果、当初より40分延長(爆)という長大イベントになりました。

◆第1部/『In This House』チーム
メンバーは出演者4人、ということで下手側から綿引さん、岸さん、入絵さん、法月さんという並び。

-作品の初見の印象は、の問いに
岸さん「作品に社会的な空気を感じた。味わい深い印象。」

入絵さん「今の自分の気持ちにリンクする、90分間の人間ドラマという感じ。」

綿引さん「映画のように1シーンごとに絵が浮かぶ。自分自身の今の年齢ともリンクする。」

法月さん「初見では作品の意味が分からなかった(笑)」

法くんのその答えに岸さんがすかさずフォローされていましたが、そんな岸さんに「優しい。」ってボソッと呟くびびちゃん、そしてそこに気づく入絵さんという、黄金のトライアングルが(爆)。

-プロデューサーさん登壇され、この作品をやろうとした経緯について。
「ミュージカルぽくない、音楽と物語が半々というところが興味深かった」
「小劇場で手触り感のあるものを作品コンセプトで選んでいる」
通し2回目をされたところを拝見して涙したと。
「毎回見るごとに印象が違う」という言葉を受けて、岸さんが「1度と言わず2度3度」と継ぐ(笑)

-自分自身の役柄について
岸さん「60代で農場経営をしている。素朴で優しい人。(松島さんから「年齢高くないですか?」と問われ)意外に自分は上の年齢もやってますよ、70代とか白髪の役もやってるので、自分では幅が広いと思ってます(笑)」

入絵さん「専業主婦ですが、過去の出来事に悲しみを抱えている女性。演出の板垣さんからは『過去の自分を晒してほしい』と言われていて、そこをどう取り組んでいくかが課題」

綿引さん「野戦病院のトリアージナースとして働いていて、家族への憧れを持っている女性。恋人のジョニーとの関係が、ヘンリー(岸さん)とルイサ(入絵さん)と出会うことで、今まで見えなくなっていたところも確認して、ジョニーと改めて向き合おうとする感じです」

法月さん「自身は警察官でまっすぐな青年ですが、まっすぐだけでは生きていけないということをアニー(綿引さん)との関係も含めて感じている。それは自分自身が役者としてやっていくための課題を与えられていることとリンクしている感じがするので頑張りたい」

-現在の役柄との向き合い方について
法月さん「役と向き合うにあたって知らないことが多すぎると痛感している。自分の前にある壁を1枚破りたい。(入絵さんから「1枚なの?」と問われ)、2枚・3枚と!(笑)」

綿引さん「今まで演じてきた作品・役の中で一番、壁にぶちあたっている状態。それは『本物』をお届けするためのプロセスと思っていて、今までの人生と向き合うことでお客様に何かが届くと思っています」

入絵さん「演出の板垣さんが仰っていますが『お客様は劇場に自分の物語を見つけに来ている』と。それに全く同感で、私たちの物語の中に皆さまの物語を見つけていただけるよう頑張りたい」

岸さん「ミュージカルらしさを削ぎ落としている状態。芝居としてどう伝えられるか、役者としても課題だと考えている」

-補足として、主催のconceptさんの取り組みについて2つ、触れられていました。
1つが聴覚に障がいを持たれている方への支援、もう1つが学生向け無料観劇システム「カルチケ」。今はconceptさんのツイートやFaceBookに「いいね」や「RT」があったら100に対して1チケット(昨日時点で28枚)。会場でも、チケットの一部の代金を募る形で取り組まれるとのことでした。

歌の御披露は2曲。現在HPでも公開されていますが、びびちゃん&法くんの『ダマート家の夜』と岸さん&入絵さんの『時は往く』。どちらも素敵でした。

◆第2部/『お月さまへようこそ』チーム
メンバーは主宰の吉原さんと、西川さん。

こちらは4月にシブゲキで公演される響人の作品。

今回の作品選びは3作品を吉原さんが選び、あとは出演者が選んだとのことで、吉原さん曰く「宮澤エマがこれダメ、と言って落としたんだよ」と冗談20%(笑)ぐらいで言ってました

松島さんから吉原さんへ、「響人というユニットの位置づけは」という質問がされていて、「商業的なところだと、どうしても背負っているバックボーンや責任というものから鎧を被らざるを得ないときもあるけれど、響人だとそういうものなしに自然にやれる、という面はある」と仰っていたのが印象的でしたが、それに応えて西川さんが「そう思って鎧脱いでたら光夫さんからグサッとやられたりしますけどね(笑)」とまぜっかえすあたりが流石です(笑)。

吉原さんへ西川さんの役者としての評価を問われて曰く「いい役者なのに、なんで●れないのかな。生まれてきたの早かったんじゃない?(笑)」とか相変わらず某演劇黙示録的(爆)

吉原さんから西川さんへ、西川さんから吉原さんへ、お互いの信頼を感じられる忌憚なさすぎる掛け合いに会場からたっぷり笑いが起きていたのが印象的でした。

西川さんのソロ曲、むちゃくちゃ素敵でしたー!

◆第3部/「海外ミュージカルの醍醐味」対談コーナー

一応、最初は「醍醐味」がテーマだったはずなのですが、吉原さんがいらしてそうなるはずはなく(笑)、主に「海外ミュージカルを日本でやる時の現実と課題」という方向性にシフトしました。

やはり「英語で歌うために書かれている歌を日本語で歌うのは無理がある」というお話はされていて、そもそも言語として日本語は細かく単語が切られていないので、英語のように「単語で強弱付ける」ことが難しい、と。

英語と日本語では文章の順番が逆だったりもするわけなので、日本語に訳すると先にネタバレしてから(笑)説明するといったことにもなりかねない。で、実際海外からの音楽担当の方が来られると英語の楽譜と日本語から英語に訳した楽譜の2通りあるので、その度に説明が必要になる、といった話も印象的でした。

海外カンパニーだと最近は演出と演出補の方と2人で担当されるケースもあって、当然その2人の見解が違うという事態も起きるので、本当はそれに対して日本キャストやスタッフから何かを言えれば望ましいは望ましいけど、必ずしもそれができるわけじゃない。ジョン・ケアードさんは最初にワークショップをしてくれるので作品についても学べるし、意見も聞いてくれるけどそういう方ばかりじゃなくて、という悩みも仰っていました。

この中では一番以前から海外ミュージカルに出演されているのは実は入絵さん(1992年『ミス・サイゴン』キム役)ですが、「その時は海外の演出の方は雲の上の存在で、何か申し上げるなんてできるはずもなく、言われたことをやるだけで精いっぱいだった」と仰っていて「その当時はミュージカルの作品数も少なかった」と仰っていて、それを受けて吉原さんが、「それからすると今からこれほどまでにミュージカルの作品が増えて、以前よりも日本側から何かを話せる機会は増えているのでは」、と仰っていたのが印象的でした。

そこから話は当然の如く「だからこそ日本オリジナルミュージカルをという話になるけれど」になってましたが、この辺になってくるともはやシンポジウムの雰囲気を帯びつつ(爆)、「お客様が日本オリジナルミュージカルの誕生を願って、そして応援してくれることが一番大事」と締められていた吉原さんの発言は流石だと思いました。

その上で、「海外ミュージカルを日本でやる大変さはありはするけれども、そのハードルを一つ一つ乗り越えるエネルギーは日本の役者やスタッフを育ててると思うし、そのエネルギーをもつことは大事なことだと思う」と仰っていた吉原さんの言葉も素敵で。

その最終的な着地点はこの『東京ミュージカルフェスタ2018』で盛り上げようとしている方向性とちょうど合っていて。2.5次元ミュージカルも含めて、日本らしいミュージカルとしてどう発信していくかを考えていくべきという議論はとても興味深かったです。

今回、吉原さんと法月くんはお初だったそうですが、吉原さんは法月氏に前から興味があったらしく、かなり激しく弄られておりました(爆)が、結構、当意即妙な返しをしてあの吉原さんを感心させていました。

法月くんは結構天然な返しをするんですが(光夫さんに振られて「難しい話は分かりませんが、難しい話をできるようになりたいです!」って返しで会場の爆笑をさらっていた)、とにかく「吸収できるものすべてを吸収したい」欲が凄く見えて、この日拝見できてとても好印象でした。

◆おまけ
第3部は話があっちゃこっちゃに飛んだので、その途中のエピソードで興味深かったところを抜粋で。

-今まで自分にとって一番「遠かった」役は。
綿引さん「『リトルマーメイド』ですね。初めて四季さんに出させていただいたこともあり、自分が全然できないことを痛感させられたし、泳ぎとかの演技も初めて教えていただいたので、それがずっと頭にあって、稽古場からの帰り、あざみ野のローソンで泳ぎの演技しながら曲がっちゃいました(実演付きで会場爆笑)

入絵さん「『ナースエンジェルりりかSOS』ですね。以前、(『りぼんミュージカル』の)『姫ちゃんのリボン』『赤ずきんチャチャ』と毎年博品館でやらせていただきましたが、自分にはすごく難しかった」

法月くん「2.5次元だと遠くても作りやすくて、むしろ今やらせていただいている作品の方が難しいです。去年から芝居をたて続けに(『Second Of Life』『Before After』)やらせていただいて、普通に生きていたら演じられるはずのものが難しいということを実感しています」

-意外な2人の共通点が判明。
入絵さんとびびちゃん、何と福岡の同じ幼稚園の出身。
で、びびちゃんの幼稚園の先生は、入絵さんの同級生なのだそうです。
入絵さん、「いくつ年齢違うって話ですよね」とボヤいていました(爆)。

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『A Class Act』(2)

2018.3.24(Sat.) 13:00~15:25
東京芸術劇場シアターウェスト
J列10番台(上手側)

2018.3.25(Sun.) 13:00~15:25
東京芸術劇場シアターウェスト
H列10番台(センターブロック)

あっという間にこの日が千穐楽公演。
千穐楽にしては笑い声も拍手も控え目で、ちょっと意外です。

千穐楽ということですし、AKA Companyさんは再演は今までされたことがないので、恐らくは再演はないのだろうなと思い、多少のネタバレ込みで参ります。

3回目の観劇ということで、気づいていなかったところがそこここに見えたり。

大のメッツファンだったエドが、ワールドシリーズのスタンドでホームランボールを取れずに、ボビーが取った。そのボールをこの作品のシーンのラストでエドに渡す。そこにエドが「勇気」を出したように思えてじんわり来ました。

エドの思い出を振り返る時にボビーが出してきた写真のネクタイは、実はルーシーがプレゼントしたものだったけど、そのネクタイを「センス悪い」と断言するフェリシア。穏健派に見えるルーシー(さやかさん)も、フェリシア(秋さん)とは実は馬が合わないというのが見ていると興味深いです。だいたいルーシーが引いてましたが。

ルーシーとソフィー(やんさん)の絡みで興味深かったのが、ラストの手紙をルーシー(さやかさん)が読んでいて、実は最後の1枚だけ、ソフィー宛のパートだけをソフィーに渡すんですね。考えてみれば当たり前の話なのですが、そこに慈母的ポジションでありながら、そこにルーシーの女性らしさも感じたり。初見から段々にその辺に黒いエッセンスを入れてきているあたりが、さやかさんらしいと言いますか(爆)、「結局エドが心を開いたのはソフィーだけだった」という言葉を吐き出すルーシーの気持ちを考えると、胸に迫るものがあります。

この作品は最初のパートはBMIワークショップのメンバーがエドを取り巻く形で始まり、最後のパートはそこにソフィーが加わってエドを取り巻く形で終わります。実際にはエドの心にソフィーがいて、皆の心にエドがいて、ルーシーがソフィーを迎え入れるからこそ、エドにとって大切な人がみんな集まってエドのことを思えるラストが実現しています。

エド以外の登場人物の中で、ただ一人「音楽・歌」の外にいたと思えたソフィーでさえ、実はエドの「音楽・歌」のファンであり応援者であり、「音楽・歌」と切り離せないエドの人生にとって、ソフィーはかけがえのない仲間であった、と思えて。ソフィーも「内側」つまり「こちら側」の人だったことに安堵します。
ソフィーにとっては自分がずっと近くにいない『愛』を選び、ルーシーは自分がずっと近くにいる『愛』を選んだのかと思えました。

キャラクター的には、やんさんのソフィーはコンスタンツェ的で、さやかさんのルーシーはナンネール的な面を感じたかも。もちろん石井くんのエドはモーツァルト的な立ち位置で。

完璧を目指しすぎたために行く先を見失い、自分で自分の成功への道を閉ざしてしまったエドは幸せだったのかどうか。

いみじくもこの日、エドを演じた石井一彰くんが、ご挨拶で言及されていました。

「エドは成功したわけじゃなかったかもしれないけど、皆がエドの人生を物語にしようと思ってくれて動いてくれて、それは勝ち組だったんじゃないかと。人は一人では生きられなくて、周囲のみんながいてくれるからこそ生きられる。そんな思いを皆さまが感じていただければ嬉しいです」

そんな素敵な挨拶に、なぜだか、さほどの拍手が起こらない中、
「まばらな拍手ありがとうございます」で舞台上&客席内からの大爆笑を誘っていた石井氏、なかなかやりよります(笑)

今回の作品、AKA Companyの1作目『tick tick..BooM!』と同じく、「作り手の思い」にスポットライトをあてた作品で、とっても『らしい』作品だと思ったのですが、一つ気になったことと言えば、今回、実は会場でのこの作品に関するパンフレットも、観劇フライヤーも存在しないんですね。そこは非常に残念に思いました。

今回の作品はとりわけ「劇場に来てくれたお客様、劇場に立つみんなの力で、歌が物語を作り、歌が心を伝える」というメッセージだったかと思うのにかかわらず、舞台が終わってからの「After The Stage」を振り返るものが何もないんです。開演前、お知り合いからこの作品の元敷きでもある『コーラスライン』の四季版のパンフレットを拝見させていただく機会をいただいたんですが、舞台を拝見していなくてもその時の空気感が伝わってくるんです(若き市村さん、祐一郎さん、芥川さん・・・)。そう思うと、今回、心に温かいものが宿った素敵な作品ではあるものの、例えばペーパー1枚でもいいので、見に来た人だけが分かる、その作品を思い出すよすがが、一つでも欲しいと痛切に思った次第でした。

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『A Class Act』(1)

2018.3.23(Fri.) 19:00~21:30
東京芸術劇場シアターウェスト
D列1桁番台(下手側)

AKA Companyプロデュース作品第3弾。

昨日が初日で、この日は2日目。
前日は終業がいつもより1時間以上遅い18時30分だったため、泣く泣く初日を手放したにもかかわらず、この日も業者さんとの打ち合わせが長引いて職場を出たのが18時30分。なんだ、それなら初日を見ても良かったです(苦笑)。

片島亜希子さん主宰のAKA Companyさん、3回連続岡村さやかさんご出演ということで、3作とも拝見しているわけですが、1作目の『tick...tick...Boom!』が『RENT』のジョナサン・ラーソンの自伝といったところともリンクするかのように、今回3作目も『コーラスライン』の作者、エドの自伝的作品です。

1作目は目白の風姿花伝でしたが、2作目(『She Loves Me』)に引き続き、劇場は池袋の東京芸術劇場地下1階のシアターウェストです。片島さんの演出作品としてはちょうどいいサイズな気がします。小劇場過ぎず、大劇場過ぎずという感じで。

ネタバレありですので、気にされる方は回れ右で!



主演とWヒロインがいずれも東宝ミュージカルアカデミー(TMA)1期という、同期生がメインを占めるカンパニー。

主演のエドを務めるのは石井一彰さん。由美子さんが東宝芸能当時に朗読劇で共演したのを拝見して以来なので、もう10年近くぶりですが、生真面目で不器用で、それでいてモテモテ(※死語)な役回り。エドの死後、ミュージカルスクールで一緒だった仲間が、エドを振り返るという物語の構成ですが、「みんなエドのことを大好きだったんだね。」というのが分かる人柄。『コーラスライン』で成功したものの、その後の半生は、実のところ陽のあたらない日々。成功という重さに耐えられなかった様を丁寧に、時に激しく演じ切っていました。

エドの恋人、メインヒロイン的な役回りなソフィーを務めるのは池谷祐子さん。真っ直ぐ立つ様がとても凛々しく、やんさんの役者さんとしての魅力にぴったり。衣装も初夏を思わせる爽やかな衣装ばかりだったのが印象的。それでいて言うべきことは言うところもアグレッシブで素敵です。何というか、「手より口が先に出る」感じが(笑)。あ、衣装では研究職ということで白衣が新鮮でした。

エドを支え続けた女性、もう一人のヒロイン的な役回りなルーシーを務めるのは岡村さやかさん。エドをどんな場面でも信じ、見守り支え続ける役回りは、さやかさんの役者さんの魅力ど真ん中。やんさんと逆に、自分からは言い出さない奥ゆかしさが印象的。こちらは、「口より先に(差し伸べる)手が出る」感じで(笑)。ソロで歌う『Broadway Bugi-Ugi』がカッコよかった!地味目な役どころで、スクール内でもアンサンブルの後ろの後ろ的なポジションだったので、さすが決めどころがあって嬉しかったです。

この2人のヒロインのエドに対する様が好対照で強く印象に残りました。お2人とも好きな女優さんだからというのもありますが、2人のヒロインの違いは、ソフィーは「真実から目を背けなかった女性」で、ルーシーは「現実から目を背けなかった女性」なんですね。どちらも強いけれど、強さが違う。その上、どちらもエドには必要で、どちらも時にエドには負担な存在でもあったのかと。

ソフィーはエドに対して、耳に痛いことだろうが何だろうが直言する。恋人という関係が崩れかけようと、ソフィーにとっての大好きな音楽の作り手であるエドに対する、それがソフィーができる関わり方。
反面、追い詰められて行く先がなくなった時でも、ただエドを支え続け、エドが苦しむ様から逃げようとしなかったのがルーシー。
そんなルーシーに向けられたエドの言葉は感動的で、ルーシーの献身が報われたであろうことにもただただ涙でしたが、ラストシーンで、ルーシーとソフィーは”互いに”エドにとって大切だったことを称えあうようにエドに向き合うのがもう感動で。

それは、やんさんとさやかさんというお2人だからというのもあるのだと思いますが、女優としての持ち味が違う上に、それが役柄としての持ち味の違いとも絶妙にリンクしている。ソフィーがエドを支えた部分は、ルーシーにはできないものだし、ルーシーがエドを支えた部分は、ソフィーにはできないもの。

だからこそソフィーがその場に現れたときに、ルーシーは率先してソフィーを迎え入れ、仲間たちとともにみんなでエドへの思いを共有することができた、というラストシーンがより感動的なものになったのかと思います。

1幕は比較的ゆっくり目の進行でしたが、2幕に入ってからの心揺さぶる展開、そしてこの音楽がこう生まれたのか!と思わせる展開は『コーラスライン』未見の自分でも(←若干爆弾発言)、湧き上がる感情を抑えられなくて。

『物事を作る』ことの躍動感を体感できる素敵な作品でした。
他キャストも、指導官役が絶妙に嵌っている中井智彦さん、史上最高レベルに遊び人風から、やり手の演出家まで幅広く活躍する染谷洸太さんも流石でした。

始まればあっという間に終わってしまうこの公演、上演は25日(日)までです。是非に。

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『ジキル&ハイド』(8)

2018.3.17(Sat.) 18:30~21:25
2階13列20番台(センターブロック)

2018.3.18(Sun.) 13:30~16:35
2階10列(最前列)30番台(上手側)

東京国際フォーラムホールC

東京千穐楽、終わってしまいました。
今年のジキハイはこの後、名古屋・大阪公演と続きますが、私的には日程等々の都合があり、この日がmy楽です。

前日の東京前楽はリピーターチケットでの追加回で、当日の幕間に引き換えた特典写真の玲奈ルーシーは今回提供された写真中、史上最強の色気に改めて衝撃。

東京前楽・楽と、1幕最初の『嘘の仮面』でマイクトラブル多発。特に、新聞売りの(麻田)キョウヤさんのシーンは2回とも音響さんマイク入れ損ねで大変残念。聞いたら他の日もキョウヤさんのパートはマイク入りが良くないことが多いらしく、素人じゃないんだから…と残念な気持ちです。

2階最前列は普通に座るとオケは見えず、ぎりぎり舞台際が見える状態。先だって3階最前列(2列、A席)にも座りましたが、そちらは舞台際が見切れる状態だったので、これがS席とA席の差なのかとちょっとだけ納得(笑)しましたが、後列の方が見えにくくなっていないか心配になってしまったりするので、精神衛生上&体勢上なかなか辛いものがあります。

本編の話に入りますが、病院の理事会、ジキルが言及する「遊びじゃない」という言葉が、この日は印象に残って。いやいや、遊びじゃないから問題なんですが(爆)、ジキルは「科学の発展」に対して露程の疑いもない、ピュアな人物。自分がどれだけ危険なことを言っているかについて無頓着。普通の図式で言えば、病院の理事会という「守旧派」は、権力であり悪である、ということになると思うのですが、ここでの理事会メンバーの判断はかなりのレベルで全うであるということが、興味深いです。

というのが、ハイドが病院の理事会を1人ずつ亡き者にしていきますが、この正当性はどこにあるのかと。
普通、「ヒーロー」であるならば、滅ぼす相手こそが悪であり、ヒーローが善でなければ成立しない。最近のヒーローものは必ずしもそれが成立しなくて、「善と悪をそこまで簡単に判断できるのか」というのが主流ですが、それを横に置いておくとしても、実のところ『ジキル&ハイド』のハイドの行為は、「科学の進化を妨害する悪を成敗する」というよりも、「ジキルが自らの意思を通せなかったことへの私恨」だったりするんですよね。

ジキル博士の踏み出そうとしている領域が、科学でなく哲学の領域であり(@ダンヴァース卿)、神を冒涜する行為(@大司教)であればこそ、ジキルが神に対して貴方の下僕と語ったところで、最後は神からの庇護を受けられない、愛するエマに対して見せたくない部分を見せてしまう…そう考えると、この作品って意外なことにヒーロー物じゃないんだな、と思えたりします。

そんなジキル&ハイドを取り巻く2人の女性、エマとルーシーは今回、2人ともが新役。
石丸さんシリーズ(2012年・2016年)ではエマだった笹本玲奈さんが今回ルーシーに役替わりし、エマには宮澤エマちゃんが入られたわけですが、回を増すごとに元々2人ともこの役だったんじゃないかと思うほどに嵌っていき、実に新鮮に拝見できました。

エマ役は当初どうしても玲奈ちゃんの面影を感じずにはいられませんでしたが、玲奈エマとエマエマの違いと言えば、玲奈エマは「生粋のお嬢様で、芯の強い女性」、エマエマは「最近飛ぶ鳥を落とす勢いの家のお嬢様で、気の強い女性」という違いでしょうか。設定上はダンヴァース家は旧家ではなく、一代限りの貴族という設定のようなので、エマエマの方が本来の設定に近いのでしょうね。

今回、御父上も今井清隆さんから福井貴一さんに変わり、社交界のポジションの違いを感じます。というのも、エマちゃんのエマは社交界に上手く溶け込んでいない(溶け込めていない)感じで、「能力と社交性は両立しないんですよ」とまりおアターソンがヘンリーに対して言ったときに、福井パパがエマエマを見て「そうだよなぁ…」って呟いていて、エマエマが不本意そうに俯くのが毎回ツボでして(笑)。

ヴィーコンズフィールド侯爵夫人がヘンリーを腐したときに、強い皮肉を返したときに、親エマ派の御婦人方(真記子さんと森実さんでしょうか)が「エマ凄いわよねぇ」って感じで返してましたが、そういう方は少数派。ここのシーン、玲奈エマで見たときにはそこまで孤立している感じはしなくて、社交界で結構上手いこと上品に振る舞っていた記憶があるので、たぶん今回の役どころの変更点でもあったのかと思います。

「エマ少しは聞きなさい」って福井パパがエマエマに言ってますが、まぁ本当にいつも聞かないんだろうな(笑)と思わせる役どころで、玲奈エマは同じことを言われても「え、そんなに頑ななの?」って印象が残ってます。

最後のシーンの印象もかなり違って、ジョンがした行為に対する反応がずいぶん違う。

玲奈エマの時は、ジョンに対してこれでもかというぐらいに鋭く憎しみの表情で睨み付けた後(『どうしてこの人を○したの!』って感じ)、他の人たちに対しては正直無関心でしかなかった記憶があるのに対して、エマエマはジョンに対して哀しみの感情(『仕方なかったかもしれないわね』って感じ)を見せたのに対して、他の人たちに対してはこれでもかという憎悪を向けていたんですね。(『あなたたちがヘンリーを追い詰めたのよ』と。)

玲奈エマは理性のエマだったけど、最後の最後で感情を露わにしていたからこそ、「エマは最愛の人も、最高の友人も同時に亡くした」という印象が強く、誰も信じられなくなった玲奈エマは出家して修道院に行きそうなイメージ
エマエマは感情のエマだったけど、最後の最後で理性で判断した感じ。ジョンの行為にも納得した上で、第二のヘンリーを出さないためにエマエマは一念発起して政治家になりそうなイメージがあります(爆)。

どっちも面白く、どっちも興味深い、キャラクターが違ったエマが見られたのも今回の醍醐味。

玲奈ちゃんファンとしては、エマちゃんがちゃんとエマとして存在してくれたからこそ、玲奈ちゃんがルーシーに100%以上全力投球できたと実感していて。エマちゃんはクレバーなだけに、考えすぎる印象があって、特に今回前任の玲奈ちゃんが目の前にいることでとてつもないプレッシャーがあったかと思いますが、玲奈ちゃんも上手いことエマちゃんがやりやすいように振る舞って(『エマのときのことはすっかり忘れました。そういう性格で良かったです』とまで言ってたのが、ある意味凄い笑)とってもいい関係性になりましたよね。東京楽のカーテンコールでエマちゃんから玲奈ちゃんの首筋にキスしに行ったのは、エマちゃんから玲奈ちゃんへの最大の感謝の気持ちを拝見できたようで、嬉しかったです。

そして、エマちゃんにエマをお任せして、玲奈ちゃんが挑んだのが、前回まで濱めぐさんだったルーシー。
めぐさんのルーシーはパワフルで圧倒的な存在感で、玲奈ちゃんはキャラが違うから同じ道は歩めないと心配をしていましたが、出産後わずか4カ月でこの完成度。めぐさんのルーシーと全く違う姿を見せてもらえたことにただただ感激。

振り返れば、めぐさんのルーシーは「魔力」のルーシー。圧倒的なオーラで男を引き寄せる感じなのに対して、玲奈ちゃんのルーシーは「魅力」のルーシー。ピュアな空気感で男を引き寄せる感じ。お2人の役者としてのポジションも反映していますよね。めぐさんは「女王」で、玲奈ちゃんは「お姫さま」。
めぐさんルーシーはアグレッシブで、どん底から自分で這い上がれるようなパワフルさがあったけど、玲奈ちゃんはどん底でジキルと出会って、ささやかな夢を持つ、そんな少女な感じがルーシーをよりピュアに見せていました。

どん底で夢も持たずに生きてきて、何の出口もない日々に突然現れた出会いに救われるルーシー。
その中でもとりわけ「愛を知らない、恥ずかしい、恥晒し」という歌詞が胸に深く刺さりました。

愛を知らない自分は、社会の中で生きていく場所もない、そう自分自身を蔑まずにいられない。
文字も読めて、恐らくは元々は良家で育ったであろう少女が、若くして身をおとして夢も希望も持たずにいた少女が、ヘンリーと出会って、「恋をしていい、夢を持っていい」と思い歌う『あんなひとが』を見ていると、今までの玲奈ちゃんの歩みとシンクロしてきて、なんだか泣けちゃうほどに嬉しい。七瀬りりこちゃんが抱えてる乳飲み子を愛おし気に見つめる様も、今の玲奈ちゃんで見るとただのシーンに全く思えないミラクル。

『新しい生活』もどんどんピュアになってきて、玲奈ルーシーの無防備感が、まりおアターソンならずとも心配になるぐらい。「すぐにこの街を出るんだ」と言われて「どうして?」と素で返してて、「歌ってないで逃げて!!!」って客席中からツッコまれながら(爆)歌う『新しい生活』が、客席みんなルーシー応援隊(笑)

ここでのハイドとルーシーのやり取りも印象的。

ハイドって、基本的に気に入らない人間をぶった切ってますから、ストライドまでは動機がありますが、実はルーシーに手を掛けた理由って、明らかにストライドまでの動機と違うんですよね。

思うに、ハイドにとってのルーシーって、ただ一人の同志だったんじゃないかって。

同情・愛情・貞操感。その3要素を共有できる存在だったと思っていたけれど、ルーシーの思いはもうそこから離れようとしていた。だからこそ「何を言っているのか分からないわ」とルーシーが答える。
「もうそこに自分はいたいと思わない。同情されて、愛情もなく、貞操感なしに生きることから抜け出したい。大切なあの人が開いてくれた「新しい生活」のために「ここ」から出よう」と。

ジキル博士が手紙で書いた「そこから抜け出して」は物理的な「どん底」ということだけじゃなくて、「(本当の)自分らしくない生活」から抜け出すということでもあるわけですからね。

「孤独」の中でただ一人仲間だと思っていたルーシーに、一番触れられたくない自分の弱点を射抜かれて、発作的に行動したハイド。ルーシーは自分の身と引き換えに、ジキルを我に返らせられたのだと思うと、あの衝撃的なシーンもなんだか腑に落ちるものがありました。

・・・

この日は東京千穐楽ということで石丸さんが代表してご挨拶。

「3月3日、ひな祭りの日からみんなで走ってきた『ジキル&ハイド2018』も東京公演はこれで終了です。毎日日々違う形になってきて、最初と今とではずいぶん違ったものをお見せできているのではないかと思います。これから名古屋、大阪と参りますがもっと進化していくと思います。見たいでしょ?(いきなりのフレンドリーモードに舞台上も客席も笑)。お時間のおありな方はぜひご覧にいらしてください」

カーテンコールで出てきた時、玲奈ちゃんがうるっと来てましたが、すぐ持ち直して笑顔でお辞儀されていたのが印象的。前述しましたが、ラストカテコでエマちゃんが上手側、玲奈ちゃんが下手側から出てきた時に、エマちゃんから玲奈ちゃんの首筋にキスをしに行った姿は本当に色々な思いを感じられて、後方からその2人を優しそうに見つめる石丸さんの姿も含め、とっても素敵な東京楽になったのでした。

名古屋は3月24日(土)と25日(日)に愛知県芸術劇場大ホール、大阪は3月30日(金)から4月1日(日)まで梅田芸術劇場大ホールにて上演されます。

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『Suicide Party』

2018.3.14(Wed.) 19:30~21:20
すみだパークスタジオ倉 F列1桁番台(下手側)

TipTap新作ミュージカル、この日が初日です。
2組制(赤組、黒組)で、この日は赤組。

どの駅からも遠いことで有名なこの劇場、自分の場合は会社からバスが一番楽(ただし40分近くかかる)なので、バスを降りて「あ、コンビニないんだった…」と思ったら劇場すぐ手前にコンビニ(セブンイレブンすみだパークプレイス店)が出来ていてびっくり。有難かったです。去年8月末にオープンとのこと。他に店がないので関係者に出逢うこと出逢うこと(笑)

今回の作品は、実のところタイトルからしてネタバレという作品でありまして、そこに触れる地点からネタバレ注意ということで改行します。




というわけで。

「Suicide」はそのものずばり、「自殺」のこと。

「Life3部作(※)」ということで「生きること」をテーマにここのところ3作続けて上演してきたTipTapさんが、「死」しかも、自ら選んだ死である「自殺」をテーマにするというのは、かなりの驚きでした。

(※)「Count Down My Life」「Second Of Life」「Play A Life」の3作の通称。公式にも非公式にも浸透した呼び方。

物語は、自ら命を絶った人々1人1人のそれぞれの「死を選んだ理由」を語りと歌で綴る、いわばソングサイクルに近いような形。なるほどと納得できるものから、皆目理解しにくいものまで、当たり前のことですが千差万別。

皆の物語を聞いていると、頭の中によぎるのはやはり「Life3部作」とこの作品の関係性。

「Life3部作」は、最終的に生きること、生き方を自分で選ぶべきというのが基本的な軸であるわけですが、それからすると、「自ら死を選ぶこと」の自由もあるのではないか、という仮説は当然浮かび上がってくるわけで、それが今回の「Suiside Party」の存在意義というか、「Life3部作」に対する補足的な位置づけに思えるんですね。

「自殺」をテーマにしたからといって、「自ら死を選ぶこと」を肯定することはないと信じているから、そこは安心していられるわけですが、「自発的な選択を促し」ておきながら「生を選ぶこと」と「死を選ぶこと」が実際に何が違うのか、に挑戦されたのが今回の作品だったのかなと思います。

物語の前半で語られる、「人間は、人々の中で自分がただの1人でないことを証明したい生き物である」からこそ、生きることに意味を求めるし、生きることの果実を求めるし、死ぬことの意味が生きることの意味を上回るときには死を選ぶのだな、ということをおおむね感じさせられます。

今回のテーマを聞いたときに、「自ら死んだ人を取り巻く人たちに与える影響」が多く占めるのかと思ったので、それが少なかったのは意外。むしろ、それぞれの死んだ人自身の状況そのものにスポットライトがあてられていたのが、意外と言えば意外でした。

「Life3部作」からの系譜で言えば、「Count Down My Life」で自らの人生とは有限であるということを理解し、「Second Of Life」で人生に夢が必要かを問いかけ、「Play A Life」で人生を作るのは自分自身であることを表現されたうえで、今回の「Suicide Party」では、生きるにせよ死ぬにせよ必要とされるものは夢であって、最後の選択をどうするかはそれぞれ次第、としているのはTipTap作品らしく、方向性が一貫していると思わされました。

「自殺」という言葉からくる常識的なイメージは、ネガティブなものだと思いますが、ではなぜそれがダメなのかを問われた時に、道徳的な観点や倫理的な観点から物を申したところで本質的には伝わらないし、伝えることもできない。そんな問題認識を見ていて感じて、「自殺はなぜダメなのか」「自ら生きると自ら死ぬにはどの点に違いがあるのか」に対して、ある一定の答えを提示しているところが興味深いです。(完全ネタバレなのでここは省略しますが、なるほどと思いました)

最後5分にぐわっと込み上げる、「この作品の意味」を展開する濃さに比べると、多数の人物が登場する物語の本編は正直、役の数が多すぎるように思えました。以前ほど、各役柄に至るまで全てを理解しようと思わなくなりはしたけれども、1つ1つのエピソードがあまりに提示されすぎで、人によっては全てを理解しようとすれば、聞くだけで精神的に厳しくなるのでは、と少し心配になりました。

ともあれ、「生」を追い続けたTipTapさんが、「死」という逆のベクトルから「生」を浮きだたせようとした試みはリスクを十分に負ったものだったと思いますし、そのチャレンジングな姿勢が拝見できたことは刺激的でした。

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